闇の日本史:異界の街《長崎》 4

http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/4d8393897e77a0d1c986ae742bc0daba

(カレイドスクープ8/16,2017より転載)

http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-5172.html

天草四郎は、倒幕のためにイエズス会によって偶像化された革命の扇動者

ここから端折って一気に結論に到達したいと思います。

長崎の数日の前に、天草諸島に残っている天草四郎の足跡、雲仙普賢岳をはじめとする島原半島の一揆などなど精力的に現地を訪れ、五島列島の島々にあるカトリックの教会のいくつかを実際に訪ねてみました。

そして、その後で、山口県の萩市に飛び、松下村塾とは何だったのか、について得心することができました。

結論は、「長崎で行われたことは、倒幕という独裁主義の打倒であり、開国というグローバリズムの大波の攻防戦であった」ということです。

さらに天草で知り得たことが意を強くしました。

天草諸島の最奥にある本渡市の天草市立天草キリシタン館には、イエズス会と天草四郎との関わりを示す資料があります。

天草四郎(一般には「天草四郎時貞」)は実在した人物で、本名は益田四郎(ますだ しろう)。諱は時貞(ときさだ)。洗礼名は当初は「ジェロニモ(Geronimo)というクリスチャン(キリシタン)でした。

しかし、「水の上を渡った」とか、「手を額に当てただけで子供の病気が治った」などという数々の奇跡を人々の前であらわし、神の子として偶像に祭り上げられた16歳の天草四郎に、年貢の過酷な取り立てに苦しむ島原の農民を組織し、戦い方を教え、原始的とはいえ武器を提供し、島原の乱に導く力などあったのでしょうか?

もちろん、それらの奇跡は、あくまでも「噂」、伝聞です。

天草、島原では、エリマキトカゲのような襞襟(ひだえり)を付けた天草四郎の像や絵画(想像図)を見つけることはたやすいことです。観光資源として偶像化された神秘的な少年の非業の死に、人々は浪漫を抱き涙するのです。

実際に、私は天草四郎の像の前で涙を流している女性を見ました。「おいおい、違うだろ」と言いたかったのですが、おせっかいは止めました。
彼女にとっては、真実より、涙を流す自分が愛おしいのでしょうから。

天草四郎は、非常に怜悧な少年で崇高な宗教心を持っていたことは確かなようです。
しかし、天草四郎の名をかたる少年は13人以上いたのです。

彼らは、あのエリマキトカゲのファッションに身を包み、九州だけでなく全国行脚をこなしながらキリスト教の教えを説いたということになっています。

実際に、天草四郎を討ち取った武将がもってきた首は13体以上あったのです。「いったい、どれが本物の天草四郎なんだ」と幕府軍は首をかしげたのです。
島原の乱を先導した天草四郎は本物ですが、それ以外にも、いったい何人の影武者がいたのか定かではないのです。

天草四郎が、日本で最初のキリシタン大名、 大村純忠や、高山右近などの反幕府の地方の大名によって、経済的支援を受け、口コミと言う宣伝方法によって、天草四郎を偶像化したことは間違いありません。

天草市立天草キリシタン館で長い雨宿りをしている間、細かく展示物を見て回りましたが、天草四郎の思想について説明されているパネルを読んだとき思わず衝撃が走ったのです。

「フリーメーソンの自由・平等・博愛」とまったく同じだ!

この発見については、ネット上でも本でも、どこにも書かれていないようです。
残念なことに、館内では撮影禁止なので、パネルの文言を細かくここにコピーすることができません。

間違いなく、天草四郎は、イエズス会の操り人形として使われた偶像であり犠牲者であったわけです。

天草四郎が起こしたと喧伝される数々の奇跡を信じ込んでしまった純朴な島原・天草の農民たちは、こぞってキリシタンとなって、イエスの救済を求めたのです。

彼は、自分が神の子として、フリーメーソンの「自由・平等・博愛」のために島原の農民たちを煽って倒幕一揆を起こさせるために利用されたことを知ったら、自分で命を絶ったかも知れません。

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