GFLJ12/1,2013:12・21オープンコンタクト下見報告

忘年会下見前日のクラウドシップ

忘年会下見前日のクラウドシップ

めまぐるしいシンクロの連続に我ながら驚いている。これから人類全体が体験する奇跡の前兆がもう始まっているのかもしれない。

GFLJメンバーの道三さんの発案で、静岡浅間神社を参拝して登呂遺跡を下見した帰りに、ふとした思いつきで富士宮浅間神社に立ち寄って、朝霧高原を経由して箱根を通って伊豆の自宅に帰ってきた。すばらしい晴天に霊峰富士が鮮やかな姿を映し出す光景は、まるで新しい日本の出発を祝する元日の日の出のような晴れ姿を感じさせるドライブであった。

今回、縄文遺跡にメンバーが集まることには深い意義が秘められているようである。その1つは、これまで私たちの活動の1つのテーマになっていた日本先史文明の謎に1つの決着をつけるイベントとなる点である。

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GFLJ11/10,2013:ファースト・オープンコンタクトの意義

浅川嘉富氏は、縄文文明とマヤ文明は共通するムー文明から派生したという説を提起している。

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今からおよそ1万2000年前に、一夜にして太平洋に沈んだと言われているのがムー文明である。その時、東の大陸・南北アメリカに渡った人々の末裔がインカ族、マヤ族、ホピ族である。一方、西を目指して逃げ延びた人々は、琉球諸島や日本本土、それに台湾や東南アジアへ渡り、その地の先住民となった。

埴原和郎氏が1991年に提唱した日本人の起源に関する「二重構造説」では、次のように述べている。

「日本人は現日本人と渡来人との混血によって生じたものである。前者は数万年前に日本列島に渡来した後期旧石器時代人から生まれた縄文人で、後者は弥生時代以降に大陸から新たに渡来した集団である。両者の接触によって、九州や本州では両者の混血が進んだが、北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残り、アイヌと沖縄の人々になった」

私は、埴原氏が東南アジア系の縄文人と述べている人々こそが、ムー大陸から移住して来た人々であったのではないかと考えている。元々日本列島にはすでに原住民が暮らしていたに違いないが、ムー文明の高度の知識をもった移住者たちが主導権を握って、 地球規模の大異変で原始時代に戻った文明を、再び開花させてきたものと思われる。

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今回、登呂遺跡博物館を見学しながら道三さんと私は完全に意見の一致を見た、

「縄文人は高度な文明を達成しながら、大陸の沈没と核汚染によって高地への避難を余儀なくされた文明人の末裔である。いったん原始的な文明への回帰を強いられながらも、すぐれた知恵と技術によって自然と共生しながら平和に協力し合う共同生活(コミュニティー)を形成していたにちがいない。そしてそれは混乱を極めた現代人が行きつく最終結論でもある。」

次のイベントでは、ぜひ参加者自身が日本人の深層に眠る縄文文明の潜在記憶を呼び起こしながら、祖先が日常的に体験していた宇宙とのコンタクトを実現したいと考えている。機械的な文明を喪失したムー文明からの避難者たちが到達した結論は、おそらくこれから私たちが向かう銀河文明であるにちがいないと確信している。

☆F★

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