天宮清さんが追加したコメントより

今日、インターネットの普及により、様々の分野の人々が自らの情報発信を行う時代となった。その中で「UFO」の分野は、「超常現象」を含む周知の分野として独立しており、無数の「投稿者」を抱える国民的関心事に位置づけられるだろう。  テレビでも、ベテラン演出者達が、各種バラエティー番組を通じて人民への「啓蒙」を行っている。我々日本人は、欧米諸国と比べ、10年から20年もの「遅れ」をとった「UFO後進国」と自認しつつも、玉石混合を使命とするかのような米国を始めとする「横文字情報」には「うんざり感」が漂う昨今である。

 

なぜなら、あまりにも荒唐無稽する現実離れしたそれらの「話題」の多くが、「恐怖」と現実離れした「夢」を誘うものだからである。もちろん、中には「事実」もあるが。  日本には1950年代、いくつかの有名な空飛ぶ円盤研究会が発足した。私は1990年代にそれらの創始者と直に接触し、彼らの能力と実績、彼らのUFO問題に対する見識について、多くの教訓と認識を得た。  私自身は1960年より、それら日本の空飛ぶ円盤研究の組織の一つ「宇宙友好協会=略称C.B.A.」の会員となって、機関誌『空飛ぶ円盤ニュース』を購読し、東京都内における同好者(主に大学生)の集まりに出席し、観測や翻訳・編集など学生らしい活動と協力参加を行ってきた。

 

年月が流れ、私の世代を導いた初代の「先駆者達」が世間から退場(多くは死去により)し、かつて確固とした基盤をもつ全国組織も、解体を余儀なくされ、会員の多くは世間に埋没していった。  インターネット時代となった今日、我々の世代とやや離れた、無数の「UFO発信者たち」が台頭してきた。彼らは我々のようにUFOを目撃して自らが確認した知識よりも「引用」や「伝聞」を元に編集情報を組み立てることが巧みであり、その中に「宇宙友好協会・CBA」についての「情報」も含まれていた。  そこにおけるCBAの「評価」とは、部分的誇張に満ちており、かつての『毎日グラフ』や『地球ロマン』の記載のような一般常識的「紹介」の範囲を逸脱して、個人的主観による評価が多くなった。世の流れとしては当然のことだが、我々が「残党」ではなく、「後続者」として公然と名乗りを上げない以上、彼らの偏見的独壇場を許すことになる。

 

またCBAの同志として共に活動した多くの仲間からも「ピラミッドを建設したまま行方不明」となった組織の実態は、批判材料として扱われて当然であり、「未来の地球を担う組織ISS(インターナショナル・スカイ・スカウト)」に参加した者にとっては「その指導者層の行方知れず」という「現実」は、未来を夢見て集合した若者達からの夢を奪った無責任な行為として指摘されても当然であろう。(実際にそのような指摘があった。)  従って、もし現在もなお「過去から継続している者」がいるとするならば、過去の組織が「未遂」で中断した「任務」をも背負うことになるのは必然である。  そして「これからの生き方」としては、「単に個人の趣味」としてやるか「地球上の公務」としてやるかということになり、個人的内密に「UFO探求」を継続してもよく、かつての先駆者に習い社会の表に立って公然と継続しても良いわけである。  誰がどちらを好み選ぶのも自由であり、無論、かかわりを持たない生き方を責めるものでもない。

 

1984年3月8日午後、大阪に勤務する現金問屋を札幌から訪れたかつての総局長T氏は、いくつかの名言を残してくれた。その記録から抜粋してみる。  「CBAとは同じ目的をもった個人の集まりだ。最終的にはその個人がやるかやらないかの問題ではないか。」  「色々考えたが、考えているだけでは何も進まないので、昨年一大決心をして、4月に編集にかかり、6月に(機関誌を)発行した。全て自分でやった。大変だった。金もかかった。」

 

貨幣経済社会において、先立つものを持たずして、室内で声を上げても、客観的な力とは成り得ない。CBAは、UFOという現象に遭遇した結果、人を動かし、企業を動かし、様々な社会との軋轢の中で、いくつかの先駆的仮説の構築と事業を成し遂げた。その部分部分において、参加者が「木を見て山を見ず」のように「部分」を論(あげつら)うのは個人の器量であり限界である。

 

1961年に来日した米国の文化人類学者ジョージ・ハント・ウィリアムスン(1986年初頭カリフォルニアで死去。=1987年1月号『トワイライトゾーン』記載ルシアス・ファーリッシュからの書簡)によって、アイヌの伝承とUFOLOGYが連結し、1963年12月24日、CBAによる「オキクルミ計画」が発動。1964年にアイヌの文化神オキクルミの記念塔と太陽マーク花壇、空飛ぶ円盤モデルが完成。1965年には大壁画が完成、1966年には太陽のピラミッドが完成した。建設の歩みは速かったが、建設に参加した我々会員の「理解」は程遠いものがあった。

私が「アイヌ聖典」の青焼きコピーを読み、自分なりに考え始めたのは1975年以後であった。  我々の生きている時間帯は、過去数千年の先駆者によって形成され、法律など細部にわたる完成した営みの中にある。何故、自分はここにいて、これを使って生活しているのか、という問いかけは愚問である。

 

しかし、我々のように歴史の上を浮遊してきた者ではない、「先祖の時代」を持つ人々は、彼らの生活の知恵の発生を、過去の物語として所有している。  そこにおいて、「文化と律法を教示した高度な知性」の物語は、全世界自然民族が共有する遺産である。その一つとしてアイヌ文化が、そして伝承者による「オイナ」「ユカラ」が、今に生きる人々によって語り継がれている。  この叙事詩の中に、空飛ぶ乗り物シンタを認めた学者は数多いが、「いわば今日の飛行機」(1967年『現代のエスプリ-神話』110ページ)の理解に留まらず、「宇宙からの宇宙船だ」と指摘したのが、ウィリアムスンでありCBAであった。  

 

その先駆者の志を受け継ぎ、学術的検証と現実の「遺跡とUFO」を探求して社会に公開するのが、我々の仕事であると認識している。  だから、これは「空想」でもなく「理想」でもなく、「現実」であって、この現実に対処する一つの道なのである。それは過去の地球から受け継がれた遺産(天空人伝承とUFOの歴史など)と、現在もなお目撃撮影されるUFO現象の間にあり、その世界に身をおけば「全ての営みが虚構ではないか」とみえるほどの衝撃をもって、「人類の悲願としての恒久平和への道、古代宇宙文化圏の復活」というテーマが押し寄せてくるのである。  しかし、この「遺産」を受け継ぐべき我々は、物質文明によって本能さえ消失しつつある悲惨な状態の中にあり、いかに便利な科学機器を駆使できても自然狩猟民族が持つ「人間らしさ」を、その便利さと引き換えに手放している感がある。さらに、「核兵器」の継続は惑星全体を生かすか殺すかの瀬戸際にもってきた。

 

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6:34am の 8 月 11, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

★ケース2: ジョージ・ハント・ウィリアムソン

(左)ジョージ・ハント・ウィリアムソン
(右)彼が接触したエイリアンから伝えられたという
エノク語のアルファベット

上の〈ケース1〉で紹介した天才ロケット工学者ジャック・パーソンズは1949年、研究室で謎の死を遂げた。

その死からほどなくして、宇宙考古学のパイオニア、ジョージ・ハント・ウィリアムソンは、エイリアンとの奇妙なコンタクトを開始した。宇宙人やUFOとの接触自体は、特に珍しいものではない。しかし、ウィリアムソンの場合はコンタクト内容が異常だった。

彼は接触したエイリアンから、彼らの言語を教わった。ところが、その宇宙人語の中に、16世紀の天才数学者ジョン・ディー博士が霊媒を使って収集した“エノク語”──通称“天使語”が、いくつも含まれていたのである。

もちろん、ウィリアムソンはエノク語など知らなかった。この秘密言語は、クロウリーら「黄金の夜明け団」系列の上級者のみが秘密の知識として守っていたもので、今日のように言語学者までが研究対象にするほどポピュラーな言葉ではなかった。

そしてここが重要なのだが、ウィリアムソンは、そのエイリアンがシリウス生命体だったと主張しているのである!

となれば、ジョン・ディーが交信した“天使”は、シリウスから飛来したエイリアンとなんらかのコネクションがあることになる。この突飛な考えは、クロウリーにまつわる以下のエピソードで、いっそう怪しげな説得力をもちはじめる……。

George Hunt Williamson

George Hunt Williamson (December 9, 1926 – January 1986), aka Michael d'Obrenovic and Brother Philip, was one of the "four guys named George"[1] among the mid-1950s contactees. The others were George Adamski, George King, and George Van Tassel.

Unraveling The Secret Life Of The Mysterious George Hunt Williamson

George Hunt Williamson, one of the major players on the UFO contactee scene of the 1950s, continues to be a shadowy, hard-to-define personality in the years since his death in 1986. He embodied a great deal of the contactee era’s optimistic faith in Space Brothers as the saviors of our planet and would be crucial to the formation of a large portion of accepted New Age doctrine. But he also had ties to a neo-fascist organization and was investigated by the FBI as a possible communist propagandist. He claimed degrees in anthropology that could never be verified, even while he traveled throughout the Americas collecting legends and stories from various indigenous peoples about visits from those same Space Brothers and their help in establishing functioning tribal communities. He would change his name to suit the occasion, sometimes calling himself Brother Philip, or by the Serbian moniker Michael d’Obrenovic.

6:16am の 8 月 11, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

ジョージ・ハント・ウィリアムスンは私も存じませんでしたが、1950年代から60年代にかけてのCBAの活動に大きな影響を与えたチャネラーであったようです。検索して来日講演会の思い出を書いた記事を見つけました。

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ジョージ・ハント・ウィリアムスンはいま何処に?

昨夜、妻の借りたDVDを返しに行き、学研の『ムー』12月号を買ってきました。私は青春の思い出の人物、ウィリアムスンの記事に関心がありました。1961年の夏の暑い日、宇宙友好協会主催による彼の来日講演を見た長い時間は、生涯忘れることのできない貴重な体験でした。
 額の広いウィリアムスンと松村雄亮師を間近で見て、言葉をかける何物も持たず、ただ呆然とそばに立つのみでした。この時に通訳をされた方とは永いつきあいになりましたが、ウィリアムスンを見たのはこれが最初で最後でした。
 私は彼の著書『宇宙語・宇宙人』にはそれほど影響は受けませんでした。1800年代末の北米における謎の飛行船目撃報道が羅列されているのにはかなり驚きましたが。
 それよりも考えさせられたのは『ライオンの隠れ家』(坂本貢一翻訳・求龍堂)と『アンデスの封印』(坂本貢一翻訳・ごま書房)でした。
 『アンデスの封印』23ページの写真にみられる「UFO写真」は、有楽町の講演会で見た多数の遺跡上空のUFOを思い出させる貴重な写真でした。私はそのアミ点の印刷を目で見ながら、鉛筆でそれを再現してみましたが、それをここに掲げます。
 ナスカ地上絵と空中のUFOの関連を示す写真は、先輩の河合浩三師も軽飛行機の上から撮影していましたので、「古来の空中関連場」と「現代の研究者としての撮影者」に呼応する「宇宙の意思」を感じたものです。
 つまり、「建造祝福の更新」あるいは「契約の成就としての再臨」というテーマを感じます。我々も、生まれ故郷や学んだ学校、仲間と協力して建造した建物など、何10年を経ても愛着があるでしょう。
 さて、雑誌『ムー』の記事の作者は「文=ミシェル・ジルジェール」となっていました。私はウィリアムスンの消息を知る資料として『トワイライトゾーン』1987年No.135の記事『G.H.ウイリアムスンの世界を探る-UFOが飛来する「天空の道」』という記事の末尾に、ウィリアムスンの訃報を知らせた人物を念のため見ますと「ルシアス・ファーリッシュ」となっていましたので、別人と分かりました。記事に使われている写真に同じものがありますが、『ムー』の記事のほうが断然鮮明です。恐らくオリジナルのプリントだと思われます。アダムスキーの現場で「足跡」の石膏を取る若い男性の姿は、確かにあの小柄なウィリアムスンの感じです。

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アマゾンで調べると以下の著作が翻訳されているようです。

  1 アンデスに封印されたムー・レムリアの超秘密(5次元文庫 う 1-1)

 2 輪廻/転生をくりかえす偉人たち―歴史はこうして作られた(超知ライブラリー)

 3 ライオンの隠れ家―異星人だった歴史上の偉人たち

 4 クリスタルベルを通した驚異の星間コンタクト キャッチされた宇宙人ヴォイス 封印された第一級資料(超☆きらきら)

6:07am の 8 月 11, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

天宮清さんが追加したコメント

御志は充分に理解しています。スィーブン・グリア博士等の活動も承知しています。かつてはフランク・ドレイクの試み、そして米空軍さえもが彼らとの接触を模索しました。レイ・スタンフォードのグループも、海岸地帯で宇宙船を間近に目撃し、「身体磁場」「記録用円盤」の概念を日本にもたらしました。ジョージ・ハント・ウィリアムスンは「宇宙交信機」による「メッセージ受信」を「円盤は語る」と題した本に紹介しました。しかし、彼は1961年の有楽町における講演会において、「私が宇宙人からのものと思っていた通信は霊界からのものだった。日本人の諸君も注意するように」と冒頭で述べました。当時「文字盤」によって「私は火星の誰某です」という受信を信じて、その道に進む方もいました。我々CBAの後裔は、それらの過去を常に念頭に置いて、」現実の空」と相対する姿勢を維持していますが、空中の沈黙が続くと、皆さん精神世界へと旅たつようです。「これはダメだとか」「こっちをやれ」とか指図はできません。あくまで「経験」を表示するだけです。

5:29am の 8 月 11, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

1950年代から60年代にかけて、異星人とのコンタクトを真剣に実現しようとした研究団体が日本にあったことは、私たちGFLJにとって励ましであると共に驚きでもありました。

当時はアダムスキーのコンタクト体験が発表されたばかりの時期で、日本では興味本位に受け取られる傾向が強かったと思われます。そのような社会の風潮とマスコミのネガティブキャンペーンに加えて、政府とNASAによる宇宙の真相の隠ぺい工作は周到を極め、真相を公開しようとする研究者は激しい攻撃にさらされてきました。

1980年代に入ってから、ようやく人々はそれまでの「科学信仰」に疑問を抱き始め、スピリチャルな世界への関心が高まってきました。宇宙文明への関心の高まりはそのような精神文化の復活の動きと一体となって進行してきたと言えます。これまでの科学では説明のできない現象が私たちの日常には明らかに起きているのです。そのようなシンクロ現象を含めて、人間が本来スピリチャルな存在である真実に目覚めさせようと膨大なチャネリングメッセージが地球人類に伝えられるようになったのは、インターネットが普及し始めた2000年を過ぎてからでした。

私たちGFLJは、宇宙からのメッセージを読みあわせながら、ファーストコンタクトを実現するために、2010年にコンタクト活動を開始しました。チャネリングメッセージを通して、コンタクト活動の意義と宇宙文明の姿の輪郭を理解していなければ、私たちもただのオカルトマニア団体で終わっていたでしょう。

これからの活動を進める上で、先達の皆さんの参加を大歓迎します。ぜひ、皆さんの体験と知識を後輩の私たちにお伝えください。

では・・

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