自由尊重と、行き過ぎた個人主義は別物

昭和終わりまでの日本では、男尊女卑と家長絶対主義みたいな空気が残っていました。

風呂に入る順番は男が先。女は最後。

知人や親戚に何か荷物を送る場合、発送者の名義は必ず家の父親か長男にして妻や娘の名は書かない。

年賀状の宛名に、女の名前は書かずその家の男の名前だけを書く。

田舎になるほど、その町村の「長=おさ」的な人が数人いて、その数人の指示で

町村のルールや行事が全部決められます。

独身の男女がいる家庭では、当事者同士の意思や相性は無視されて、勝手に結婚が決められます。

知らないうちに顔も名前も知らない人と同じ戸籍に登録されていて、婚礼はその後で

婚礼の日に初めて相手の顔を見た…なんてのも珍しくなかった。

相性が悪いのに強引に結婚させられて破綻しても、「悪いのは夫婦の責任だ」と言われて、無理矢理婚礼上げさせた

田舎権力者たちは「自分たちに責任は無い」でとおす。

就職でもコネで採用者は決まっているのに「建前だけの面接」を行う。

いゃーーどれもひどいです。

平成になってからですかね?個人の自由意思が尊重されてきたのは。

束縛・支配・過度な干渉・強制から解放される自由意思の尊重はすばらしいです。

でもスマホが普及した頃からちょっと待て!な危惧が出てきました。

個人主義が行き過ぎて、自由と言うより孤立感が見えることです。

同じ家に暮らしている家族は別々の部屋にこもってスマホばかりいじってる。共通の話題が少ない。

「孤独死」は独居老人だけの問題じゃ無いよ。

同居している家族は、家族の誰かがひっそり亡くなっているのに気づかない…ってことが

これから増えると思う。他人に優しくすれば、詐欺師やカルトの勧誘を疑われるし、

変な人とか基地外と思われることが…。だから、ますます人間同士に孤立感の悲愴が漂う。

人類が進化して高次元の宇宙文明時代がいよいよ始まったとしても、その傍らで

家族にも気づいてもらえず孤独死する人が増えたら、それでも高次元世界って言えるんでしょうか。

互いに思いやり助け合うのが高次元では無いのでしょうか。

ここのサイトでも、なにかこう、みんなバラバラって感じだ。

自由尊重と行き過ぎた個人主義はちがうぞと、多くの人が認識しないとダメだ!

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コメント

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10:51pm の 12 月 20, 2016 にある ETseizin のコメント
どの要素も言えている様に感じられますね。中には、それなりに相性もまあまあで良い要素も含まれているようです。テレビや新聞やラジオなどの様々な洗脳情報から目覚めれば目覚めるほど闇のコントロールから解放される事になるわけですから。(*^^*)

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