眼鏡という鏡が映して観せてくれるものは何?

車に乗って交差点で信号待ちをしていた時、ハッとした。



向かい側にあるお店は眼鏡屋の愛眼だ。









その愛眼のシンボルマーク?のメガネが「∞(無限大)」に見えたからである。



それと同時に、「あっ、のび太君」と思った。





のび太君がかけている眼鏡を連想したようなのだが、なぜそう思ったのかはしばらくわからなかった。





それはこういうことのようである。





眼鏡は文字通り「眼の鏡」と書くが、眼鏡をかけた状態を想像して、眼鏡が眼の鏡になったらどうなるだろう。



目に映るもの、それは自分の両の眼(まなこ・愛己)であり、その眼の奥にある己の内側という奥宮であり、宇宙への入り口・扉である。



そして、宇宙は無限の可能性があり、つまり無限大のマーク「∞」へと繋がった。





一方、のび太君を連想したのは、のび太→ドラえもんであり、ドラえもんのポッケ=∞、ということなのだろう。





宇宙というと、とてつもなく巨大で計り知れないほど遠いものというイメージがあるだろう。



ところが、この眼鏡(第三の目)で内の奥を覗いてみれば、意外にも一番、身近なもののようにも感じられるかもしれない。





私の場合、異次元の自分と会話をしたり、時には遊んだりしてきた。



それは、あまりにも自然なことだったので、数年前まではそれが違う次元の私だということに気がついていなかった。



つまり、私と思っている存在は多次元にもいるということだ。





誰もが自問自答することがあると思う。


それは誰と話しているのだろうか?





あたかも、自分に問いかけているとは思ってはいるものの、違う意見を言ってくるもう一人の自分という感覚を持ったことがあるだろう。


俗にいう「良心(神)・内在神」である。





私は幼い頃から図、その違う次元の存在である多次元くんとの境があまりなかったのかもしれない。



いや、境というよりは、心の奥に蓋をして忘れてしまっているだけのように思う。



えーっ(@_@)

「引っ越しのサカイに頼んで心の奥深くに引っ越しさせたようなものだよ」と、

私の多次元くんは嬉しそうに例え話を話しかけてくる(笑)





そうなんです!



多次元くんというのは、無邪気で幼子のままのような感覚なのです。


無垢な童です。





十代後半ぐらいまで、多次元くんは布団の中を隠れ家と称して、私とぬいぐるみでままごと遊びのようなことをして喜んでいました。



多次元くんはハイアーセルフでもあるから、物知りであり、いろんなことを教えてくれる存在でもあります。



そのくせ、予知するようなことは秘密にしています。


ネタバレした映画は見なくてもいいかって思うのと同じで、結末を知ってしまったら面白くなくなるからでしょう。





多次元くんはいつもワクワク感に包まれているから、多次元存在というもう一人の私であっても、人という肉体の器に意識が戻ったら、結末の記憶はキレイに消えています。





また、多次元くんというのは、人の感覚からみると、とても冷酷な一面もあります。



例えば、地球の地殻変動、つまり、地震であったり、火山噴火などに対しては恐れなど全くなく、むしろ、くしゃみをしたり、肩の凝りがなくなってスッキリするような感覚なのです。



だから、大災害においても、とびきりのワクワク感でいっぱいなようなのです。


人間の私に戻っている時には、ついていけない感覚です。



そんな多次元くんとの感覚の違いを強く感じ、衝撃が走ったのが東北の大震災の津波の被害を見た時でした。



町が津波にのまれていく瞬間を見た時、正直な話、「シマッタ」。。。と、後悔の念にも似た苦い想いをしたことを今でも覚えています。





でも、このことは裏返せば、こう捉えることもできます。



人の感覚からすれば恐れでしかない大災害においても、多次元くんがワクワク感を感じているということは、宇宙から
みれば、より発展するための1つのプロセスだということができます。





こういう捉え方をすることさえも、人の感覚からしたら、なんて非情なことを言っているのだろうと非難されるかもしれません。



しかし、今、人はそこの壁を越える時が来ているのだと感じています。





死というものすらも、この世と、あの世との「お国替え」と捉えることで意識が変わってくるかと思います。





私の父が他界した直後、肉体の痛みや死への恐怖から全て解き放たれて、とてもスッキリと楽になった想いが伝わってきました。



その解放感からなのか、母が脱いだ靴下が家の前に落ちていたというイタズラさえもしましたよ。





意識が現実を生み出していく。



それならば、あなたが起きて欲しいと願うことへ意識を向けていきましょう。



眼鏡が曇っていては、心の扉の奥とは繋がりにくくなります。



氣がかりが起きてきたら、祓って、祓って、視点を変えて観ていきましょう。





氣が枯れていない、ピュアで、ストンと柱が立ったような状態の時には、心の奥宮にいるドラえもんが出てきて、不思議なポッケから無限大の可能性を引き出してくれるかもしれませんよ♪

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コメント

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9:09pm の 2 月 14, 2016 にある 獅子 ark 666 のコメント
人類観察者さんのコメントを読んでいたら、以前、拝読した人類観察者さんが書かれた小説のことを思い出しました。その後、執筆活動ははかどってみえますか?また、新たなものが書きあがったら読ませてくださいね。
宇宙は想像をはるかに越える広大なスケールで、ホント、無限の世界なんでしょうね。

そうそう、この記事を深夜に綴ってから寝たのですが、明け方に宇宙人が宇宙船でやってにて近くに着陸し、いきなりピンポーンと玄関のチャイムを鳴らしたから、恐怖のあまりに身体が硬直するという夢を見ました。
私のなかには、まだまだメディアで植え付けられた宇宙人は恐ろしい存在というイメージが残っているんだって、目名覚めてから苦笑しましたよ(笑)

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