なぜ人は群れたがるのか?


なぜグループや派閥をつくりだかるのだろうか?





私は人と関わるのがどちらかというと苦手なようだ。


というよりも、一人でいる時間が好きであり、自然と時を共有しているのが楽しいのだ。



だから、気がつくといつも独りになっていることがあり、一匹狼みたいなとこがある。





仲間外れ

悪口

評価

喧嘩

差別 などなど。。。





人が群れると色んな問題も出てきたよなぁ


面倒だし、嫌だと感じてきたけど、これも学びであったのだ。





これからはこういったことも、どんどん変化していき、和合な関係がどんどん築かれていくのだと思う。





アクエリアスな時代になって、「水」の流れはどんな形のものにも合わせて姿を変えていくからだ。



コップに入ったならば水はその形に合わせてとどまるというように、流れ着いた先の形に自由自在に変化していく。


水蒸気にも姿を変えて天へと登っていく。





そして、今までの現実世界において新しい形へと変化を求められてもなお反発している出っ張りは、水の勢いで削られ、淘汰されていくだろう。





「孤独」



ひとりぼっちで、辛いイメージを持つ人が多いことだろう。



孤独の「独」





ふとお釈迦様の「唯我独尊」という言葉が目にとまった。



人間の、いのちの尊さは、能力、学歴、財産、地位、健康などの有無を超えて、何一つ付加することなきままで尊い「私」を見出すことが大切なのです。



孤独とは本来は真逆の意味合いなのかもしれない。





以下はリンクのサイトからの一部転載です。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「唯我独尊」とは、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」との意味であり、それは、自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。
他と比べて自分のほうが尊いということでもない。
天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊いということの発見である。

ふだん私たちは、これこれの財産があるからとか、名誉や地位があるからといったことによって、自らを他と比べて立派だと思いこんでしまう。
「家柄がいい」とか、身体に障害をもつ人よりも「健常」である自分のほうが上だと無意識裡に考えていることがある。

しかし、この釈尊の言葉は、人間は何らかの条件によって尊いのではなく、人間の、いのちの尊さは、能力、学歴、財産、地位、健康などの有無を超えて、何一つ付加することなきままで尊い「私」を見出すことの大切さを教える言葉である。




※生活の中の仏教用語「天上天下唯我独尊」
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qsb.html

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コメント

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11:42am の 2 月 1, 2016 にある 獅子 ark 666 のコメント

大量着陸さんのコメントにある、一つ一つの言葉に重みを感じております。

スターシードならではの生きづらい様々な想いが我が身でも渦巻いておりました。

お釈迦様の言葉では、それをも独(ひとり)として尊い光であるのだと。。。天空からのひと筋の光の糸を垂らしていただいた想いでありました。

最後の総仕上げの統合、融合では、目にするもの、感じるものの全てが大いなる一つのひと欠片であり、我(割れ)の一部であることを受け入れることなのだと感じています。

憎きもの、悪しきもの、汚きもの、それも皆、写し鏡で見せられていて、「天上天下唯我独尊」なのだということを、しみじみ感じる今日この頃です。

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