私がつくったもの、表現したもので、
たった一人の人の心からの笑顔を見たい



つくるものには、何がある?

表現するのは、どんなもの?






料理もあれば、言葉や歌、本や音楽、演劇、絵画、芸術・・・


それに、「国づくり」という政治も。。。






それが、はじめは一人だったのに、
1人から2人、3人・・・・・



やがて、「私 対 大勢」となっていく



そして、大勢を前にすると、つい、こんな気持ちが心によぎるだろう



「ここにいる全ての人を満足させるなんて無理、無理!」。。。とね





そんな風に初心を忘れて、その場しのぎの作り手、表現者となっていませんか?





しかし、よくよく考えてみれば、


受けとる側というのは、いつどんな時も「ひとり」



あなたでも、その他大勢の中の誰かでもなく、私という「ひとり」の人なのだ



あくまで大勢というのは、「1対1」の集合体でしかない





それは、普段の生き方にも同じことが言える





私という「ひとり」の人がいて、


私の目には、たくさんの人やモノが見えて、それはどんどん移り変わっていく




私という受け手は、その目に映る出来事に対して様々なことを感じとるだろう



しかし、一方では、「ひとり」の私は

創り手でもあり、表現者でもあるのだ



そして、ついついあの癖が出てきて

その他大勢やたくさんの出来事を前にして、

翻弄され、我を忘れていく





吸って~、吐いて~

吸って~、吐いて~



そんな堂々巡りの、独りよがりの人生劇場は繰り返される





基本中の基本は「母と子」なのかもしれない





赤ん坊が泣くと母親は誠心誠意を尽くし

我が子が何を望んでいるのかを知ろうとする



お乳をあげ、オムツをかえ、


それでも泣きやまなければ抱っこして、
何とか我が子が泣きやみ、満たされるよう手を尽くす



一心に我が子の気持ちをわかろうとする





どうして、そこまでやれるのか?


母親だからですか?


母性がそうさせるのですか?




私はこう思うのです





赤ん坊の天使のような笑顔が見たいから、


その天使の微笑みを見たら、

すべての頑張りが報われ、癒されるから。。。





生まれてくる前の記憶をたどっていくと、

子どもたちは決まって語る言葉があります。




「お母さんを助けるために生まれてきたんだよ」






あなとの内側にも

もう一人の子が、

もう一人の私がいる






本当の本当は、



その子のことを一番よくわかり、

心からの笑顔を見たいのではないですか?






一番、近いはずなのに、

一番、遠い存在となってしまっていた

私の中の「あなた」 





元は皆、「ひとつ」なんだよ




母も子も、

一人二役を演じているだけ






生まれてくる前に

あなたはどんなストーリーを

思い描いてきたのですか?





その題名を忘れてしまったから、

拍子抜けな人生劇場となっているのではないですか?





まる書いてチョン






呼吸とともに自分が心棒となるよう

いつもリセットされているのに

気づかない





表紙の抜けた辛抱劇場は

終わりのない堂々巡りの苦笑の奇劇






装い新たに

嬉し楽しの心棒劇場の

幕をあけましょう!

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