UFO ディスクロージャー 地球宇宙次元

日本で先駆けて1950年代から宇宙船研究とコンタクト活動を試行してきた宇宙友好協会(CBA)の中心メンバーの1人、雨宮清さんはその活動を振り返って次のように語っている。

不知火 (しらぬい)とは、九州熊本県の不知火海に現われる現象である。私は子供の頃、小学生の学習雑誌でこの現象が光の屈折で起るものだという説明を信じて育っ た。ところが、空飛ぶ円盤に引かれて入会したCBAにおいて「不知火観測をやる」というのだ。これにはあきれ返った。「あんな光の屈折をいまさら観測して 何になるんだ」と思った。しかし、月曜会という会合に顔を出していた私は、成り行き上、彼らと共に観測計画に参加することとなった。参加する以上は、天体 望遠鏡や記録に必要な道具を整えた。

既 成の知識を学ぶ者にとって、学者によって築きあげられた学説に疑問を持つほどの問題意識はない。なぜ、一般には光の屈折で解決されていた不知火に、CBA は問題意識を持ったのか。いまもって大いに疑問がある。何か別な「知識人」が介入したとしか思えないのだ。では、実際の観測はどうだったのか、それを二年 続けて萩原夫人の観察眼と感性から、ここに紹介する。
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1962年8月29-30日 不知火観測  第1班 萩原まさ

「金も生命も保証なし」と河合本部員より申し渡された不知火調査行に、その金のない私が、月曜会の方達の好意により、一員として参加することができた。
 「不知火」とは一体、どんな火なのだろうか? 私の頭の中には、大空に横たわるあの雄大な母船のようなものが浮んでいた。それが赤く燃えて、海の上に浮んでいる--- そんな光景を連想しつつ、目的地の八代市高島山にたどりついたのは、8月29日の午後5時頃だった。


火が、はっきりと見え始めるのは、1時過ぎとのことなので、準備体制のままで、仰向けに寝そべったりして、空を仰いでいた。「アッ、 とんだ」と、鈴木さんが叫び、とびおきた。UFOが一機、天頂より北に向かって、蛍光色を放ち力強く飛んだのだ。“町の人は、円盤をみたことはないと言っ た。だけど、ちゃんと飛んでるじゃないか”“UFOと不知火とは、絶対に関係がある” 真っ先に見た鈴木さんが、はっきりと言った。「さあ、UFOの記録 をとろう!」

が ぜん、皆の顔が生き生きとしだした。それから40分くらいの間に、白い尾を引く円盤など、4機、5機と、天頂から北に、北西に向かって飛ぶUFOを班員全 部が目撃した。最後のUFO目撃は、12時4分で、南西から北西へ、白い光をみせて飛んでいった。あとで、気がついたことだが、このUFOの飛んだ方向 に、不知火が出たのだった。 これより、私達は、それぞれの部署に就き海上をじっと見つめ、火の現われるのを待った。

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CBAのセレマニー(儀式)について

■チプサン・セレマニー
  CBAにおけるUFO研究は、UFO観測に始まり、次に宇宙連合とのコンタクトへと発展した。短期間における団体の内部変化には、必然的に、ついてゆける 人と、理解できずに離れていく人に分かれる。また同じ日本のUFO研究者からは、誇大妄想の烙印を押されることにもなる。それでも、そうした客観情勢との 融和や妥協より、自らの方針と活動に信念を燃やし、積極的に計画を前進させたのは、やはり「実際の宇宙組織」と彼らの接触面の濃密なるがゆえであったので はないだろうか。

その顕著な出来事として、1963年不知火観測後に山鹿市のチブサン古墳において行った「セレマニー(儀式)」があった。

■ハヨピラ・セレマニー

ここで話は一足飛びに1965年のハヨピラへと移る。その間における無数の課題はまた、別な項目で述べるが、ここでは「CBAのセレマニー」として同時に扱ってみた。
 CBAでは「チプサン古墳」も「ハヨピラ」も“宇宙文化史蹟”としてみている。
  “宇宙文化史蹟”とはUFOとの接触者が考案した概念である。それは、現在の自分達が空飛ぶ円盤を“宇宙からの教師”として仰ぎ見る、その精神文化の先駆 けとしての理解である。「7つの太陽円盤を迎えていたチプサンキング」と「文化神オキクルミカムイの教示下にあったアイヌ民族」、この両者の上に現実の宇 宙があり、その宇宙はCBAの松村氏を通じてCBAの全員にコンタクトの道を整えた。そのような理解がある。

GFLJ9/27,2014:地球は9月22日からフォトンベルトに突入した 

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