5世紀中頃に同じ地域に5基以上の古墳がまとまって築かれており、滋賀県では最大級の古墳群です。
1500年という長い年月の間に古墳の様子は様変わりし、盗掘され、林や田畑に変わってしまいました。

この古墳を出来るだけ当時の姿に戻したのが、この形。
http://ch01579.kitaguni.tv/e1126014.html

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6:51pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

桜生史蹟公園(さくらはざましせきこうえん) 
大岩山古墳群は、野洲町冨波・辻町・小篠原一帯の大丘陵を中心に立地し、冨波古墳・古冨波山古墳・大塚山古墳・亀塚古墳・天王山古墳・円山古墳・甲山古墳・宮山二号墳の8基が国史跡に指定されています。
ここ桜生には全長50mの前方後円墳である天王山古墳、直径28mの円墳である円山古墳、直径約30mの円墳である甲山古墳があり、いずれも近江を代表する後期古墳です。
古墳の一部が崩れたために1994(平成6)年から文化庁・滋賀県教育委員会の補助を受け、保存のため発掘調査と整備を行い「桜生史跡公園」として公開することになりました。
 1999(平成1)3月   野洲市教育委員会

桜生史蹟公園

6:48pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

円山古墳を下りて、すぐ隣の甲山古墳に上る。標高110mの丘陵
先端につくられた6世紀前半の円墳で、直径30m、高さ10mの規
模をもち、内部には西に開口する横穴式石室がある。
 石室は、奥に向かって下がっている通路(羨道)があり、玄室
は奥から見て右側に袖をもち、長さ6.8m、幅2.8m、高さ3.3mの
規模で、床面には玉石が敷き詰められている。中央部には熊本県
宇土半島の凝灰岩(阿蘇ピンク石)でつくられた家形石棺が安置
されている。

「近江路フィールドワーク(その3)」

6:30pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

御上神社のずいき祭り

10月8日に,御上(みかみ)神社の「ずいき祭り」がありました。
(注.「ずいき」とは,サトイモの茎の部分のことです。)

御上神社は滋賀県野洲市にあり,三上山を御神体とし,天之御影神(あめのみかげのかみ)を御祭神とする神社です。
三上山は別名,「近江富士」とも呼ばれます。)

古事記の「開化天皇」の段に,近つ淡海御上祝(はふり)が もちいつく天之御影神と記述されており,また,三上山のふもとでは,24個の銅鐸(うち1個は,日本最大のもの)が見つかっていることなどから,かってはこの地域に相当大きな力のある集団がいたものと推定されます。

「ずいき祭り」については,記録によると少なくとも460年前から行われており,現在は国指定の重要民族文化財になっています。

 

6:26pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

天之御影神

天之御影神は、我が国の鍛冶の祖神とされる神である。「古事記」では、この神は近江国の三上山を御神体とする御上神社(滋賀県野州町)に祀られる神であるとしている。三上山は”近江富士”とも呼ばれ、俵藤太こと藤原秀衡(平安中期の関東の武将で、平将門を討った勇者として多くの伝説が語られている)のムカデ退治の伝説が残る山である。この神も、古くは三上山に宿る山の神であり、近在の人々の生活を守護する地主神であった。

 古来、近江のあたりというのは帰化人の定着が多く見られ、外来文化とも密接な関係があった。帰化人のもたらした文化のなかには当然、先進的な鍛冶の技術もあったはずである。実際に野洲周辺の古墳の出土品に、大量の銅鐸や刀剣などが含まれていることから、この地に鍛冶の技術が根付いていたことは確かである。その技術が中世以降は刀鍛冶として発展し、ひいては、のちに戦国の世に革命をもたらした鉄砲の生産地、近江国友村(滋賀県長浜市近郊)の鉄砲鍛冶の技術としてつながった。とにかく、そうした鍛冶を専業とする古代の人々の信仰が三上山の地主神と結びつくことによって、天之御影神は鍛冶の神としての霊力を備えるようになったのである。  中世以降、天之御影神は武神として崇敬を集めた。たとえば、天之御影神を祀る御上神社の寄進者には、木曽義仲、源頼朝、足利尊氏、近江守護の佐々木氏、豊臣秀吉などの名が見られる。こうした武将たちの崇敬を集めた理由は、この神が刀鍛冶(刀工)の神としての性格を強く持っていたことに由来するものである。武将たちは、鍛冶の神に優れた刀を生み出すことを祈り、刀に宿る神霊が戦いを勝利へ導くことを願ったのである。  なお、天之御影神の息子に意富伊我都神がいる。この神は、古代の多くの氏族の祖神とされる額田部湯座連(ヌカタベノユエムラジ)天津彦根命の孫ともいわれ、やはり刀鍛冶の守護神として崇敬されている。祖父の天津彦根神は、もともと火に関係が深く、祖父の系統を引くこの神もまた火と強く結びついていると考えてよいだろう。つまり、焼き入れ(火)によって強靱で優美な刀剣を生み出す霊力を発揮するのがこの神なのである。また、刀剣は邪悪を払う霊力を持つ。ゆえに、この神も人間を災いをもたらす悪霊から守護してくれる神としても信仰されている。

6:24pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

御上神社滋賀県野洲市三上に鎮座する御上神社です。 野洲川の右岸、三上山の西麓に位置します。

『延喜式』神名帳の近江国野洲郡に、「御上神社」がみえます。

『三代実録』貞観元年正月二十七日条に近江国の従五位下三上神が従五位上に叙せられたことがみえ、その後も貞観七年八月二十八日には正四位下、貞観十七年三月二十九日には従三位へ神階を昇らせたことがみえます。

祭神は、天之御影大神。

『古事記』中巻開化段に、「近淡海の御上の祝がもちいつく天之御影神」がみえ、そのむすめの息長水依比売は、開化天皇の皇子・日子坐王との間に丹波比古多々須美知能宇斯王や水穂之真若王らを儲けたとされます。

水穂之真若王は、近淡海の安直の祖であるといいます。 安直は、『旧事本紀』国造本紀にある「淡海国造」を輩出した氏と同じと見られ、この神社の祭祀に関わったと見られます。

 

6:20pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント
6:18pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

野洲市歴史民俗博物館にて復元銅鐸

琵琶湖にそそぐ近江最大の河川・野洲川。 鈴鹿の山々を源流として下流に広大な平野をつくりだし、かつては平野を網の目のようにめぐる水路となって、湖岸からかなり離れたところまで舟で行き来ができたといいます。 豊かな水と肥沃な土地を擁するこの地は、人とものが行き交い繁栄しました。

湖南地方(栗太・野洲・甲賀)にある式内社の社号、祭神、あるいは地名のなかに、『旧事本紀』にみえる人名と重なりのあるものがみられます。

三上山の山麓に位置する御上神社の祭神・天御陰神は、天神本紀によると、物部氏の祖神である饒速日尊に付き従って降臨した神であるといいます。

饒速日尊の孫にあたる彦湯支命が娶ったのが、淡海川枯姫です。甲賀郡の式内社に、川枯神社があります。

彦湯支命の子、出石心大臣命が娶ったのが、新河小楯姫です。野洲郡の式内社に、下新川神社と上新川神社があります。

出石心大臣命と新河小楯姫との間に生まれた子が、大水口宿祢命です。甲賀郡の式内社に、水口神社があります。

6:10pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

修行僧がダイブ 近江八幡「伊崎のさお飛び

 湖上の漁船に浄財を募るために僧が湖に飛び込んだという故事に由来し、平安時代に始まったとされる。近年は、比叡山で百日回峰行を終えた修行僧が、行や信者の願いを成就させようと飛び込んでいる。この日は県内外の三十~四十三歳の修行僧が参加。一人ずつ長さ十三メートルの角材の先端まで進み、直立して静かに手を合わせて湖面に飛び込んだ。

 

 

3:49pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

石部神社

【延喜式神名帳】石部神社 近江国 蒲生郡鎮座

   【現社名】石部神社

   【住所】滋賀県蒲生郡竜王町七里831
       北緯35度4分17秒,東経136度6分0秒
   【祭神】天照大神
       『神社覈録』「石部公祖神」
       『特選神名牒』は「久斯比賀多命」

   【例祭】4月10日 例大祭
   【社格】
   【由緒】正応2年池内眞清等社殿を造営
       寛文10年(1670)銘鰐口あり
       寛文12年改築
       元禄10年造営
       享保15年造営
       延享元年造営
       延宝7年(1679)「石部」の字に復す
       同 吉田家より正一位の宗源宣旨

 

神社より西300mに横穴式石室の古墳があり、土地の人々はこの古墳を神社ゆかりの地としている。
摂社の春日社は応永27年(1420)に勧請されている。

 

3:29pm の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

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