一言主の神(事代主の神)=アラハバキ=遮光器土偶?
http://ameblo.jp/sf-spirin/entry-11242220637.html
日本神話の絵物語の挿絵に、遮光器土偶が雲に乗って空を飛ぶ姿があり、

それを「一言主の神」としている。

これは作家の空想画だが、亀ヶ岡文化の聖なる山、岩木山に奇妙な目撃記録がある。

慶長十年二月二十日夜五ツ時、

岩木山の南の肩から大きな光り物が出て空中に輝いたが、

まもなく北の方へ飛んで、赤倉の沢へはいった。

このとき、周辺が昼のごとく明るくなって草木の色まで見分けられ、

その光景は堀越城近辺の村々からも見えた。

 

明和七年閏六月十四日の夕七ツ時ごろ、

岩木山の上空に甲冑を着た人形のような雲が立った。

また十六日の昼ころには、山頂の上に船に乗ったような人形の雲が見えた。

正月に鳴動があり、山腹から上が黄色に光ったのと、同じ年である。

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6:17am の 8 月 9, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

雄略天皇とは

戦後の歴史教育を受けたものには、雄略天皇の名は意外と知名度が高い。西暦478年、高句麗を除く韓半島全域の軍政権を求めて、当時の宗主国であった南宋に上表文を送った倭王・武のことは、どの歴史教科書にも載っている。「昔より祖禰(そでい)みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し寧所(ねいしょ)にいとまあらず・・・」で始まる堂々たる駢儷体の漢文はあまりにも有名である。この上表文の送り主が、後に雄略天皇と諡(おくりな)される倭王・大泊瀬幼武命(おおはつせわかたけのみこと)である。

稲荷山の鉄剣は
1968年(昭和43年)、埼玉県行田市稲荷山(ぎょうだしいなりやま)古墳

から出土した。
 その後サビがひどくなってきたため、10年後の1978年、奈良県の元興寺文化財研究所で保存処理をしていたときに、担当の所員がサビの下にキラリと光るものを見つけた。
 それが何か、X線写真をとってみたところ、金象嵌の銘文が姿を現したのである。
 そこには、驚くことに中国や朝鮮でも出土していない115文字もの大量の文字が刻まれており、しかもそれは、紛れもなく5世紀の生の資料そのものだったのである。

 さらにその内容も古代史の基準点となるような貴重なものであった。読み起こされた銘文は、次のとおりである。

まず、赤下線の部分を要約すれば、

「紀元471年7月、この刀を作ったオワケ臣は、始祖はオオヒコで、・・・代々、杖刀人の首(いわば親衛隊長)を務めており、ワカタケル大王(=雄略天皇)がシキの宮に居ました時には、オワケ臣が大王の統治を補佐した。」
(おそらく、オワケ臣の引退など職を辞するときの)記念に王家へ仕えた先祖のことを記して、この剣を作らせたと、刻んであったのである。

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_06kibaminnzoku_kita_ko...

 

5:41am の 8 月 9, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

③ 胴体
宇宙考古学では、遮光器土偶の胴体は、ずばり宇宙服です。
この考え方は、なぜか歴史上広く流布していた気配もあり、例えば「西遊記」の孫悟空は遮光器土偶的な渦巻きデザインを持つ膨らんだ衣服を着て“金ト雲”で飛行しているし、一言主神も遮光器土偶をモチーフにしたかのような衣服を着て“雲”に乗り空を飛んでいます。
まさにこの”“縄文スーツ”が、雲のような物に乗って飛行する者が、身に着けるべき衣服であることを示しているかのようです。
さて、一言主神というのは、明治期に出版された『日本の神様』という本で紹介された雄略帝が大和の葛城山で出会った神のことで、その挿し絵を見ると、一柱の神が、雲に乗り遮光器土偶と同じ衣服を着用しているところが描かれています。        

宇宙考古学★縄文土偶のUFOLOGY その5

5:35am の 8 月 9, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

御所市の森脇に一言主神社というお社(やしろ)がある。一言主神社に祀(まつ)られている神さまは、一言主大神。この神さまは、託宣(たくせん)の神で、良いことも、悪いことも一言で託宣を下す神さまである。『古事記』にこんな話が載っている。
       雄略天皇が葛城山に行幸した時の話。お供をしていた多くの役人たちは、皆紅い紐を付けた青摺(あおずり)の衣を着ていた。その時のこと、谷を隔てた向かいの山の尾根を登る人びとがいた。それがまったく天皇にお供でつき従っている人びとそっくりで、区別すらできない。そこで、天皇はこう言った。「この大和の国に、我のほかに二人と王はないはずだぞ。今このように行くのは誰なんだ(けしからんではないか。同じ装束を着て歩くなどとは)」と。すると、相手の答えて言う様子も、天皇の言葉と同じではないか。天皇は怒って弓に矢をつがえ、お供の者たちもみな弓に矢をつがえた。すると向こうの人びとも同じように矢をつがえるではないか。そこで、天皇は、「お前の名を名乗れ。そしてそれぞれ名乗りあってから矢を放とうではないか」と言った。これに対して、相手は「自分が先に尋ねられたので、まず自分が名乗りをしよう。自分は、悪いことも一言、良いことも一言、事を定めて託宣する神だ。葛城之一言主之大神だぞ」と言った。天皇はあわてて、「畏れ多いことです。神さまとは気付きませんでした」と言い、身に着けていた御刀と弓矢をはじめ、役人たちの着ている衣服を脱がせて、一言主大神に献上したというのである。
       この話で重要なことは、天皇と同じ衣を着用することは古代においては不敬とされたことである。もう一つ考えねばならないのは、まるで鏡に映し出された自分を見るように、相手が自分と同じ行動をとるということであろう。そこに、神の恐ろしさが表現されているのであろう。      この話は『日本書紀』にも、ほぼ同話が載っている。天皇の力を上回る葛城の神の出現を描いた話であろう。

記紀に親しむ:一言主神社

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