古代文字と表題に書きましたが、正確には現在〔手宮洞窟陰刻画〕となっています。1886年に、朝里地区のニシン番屋の建築にたずさわっていた、石工、長兵衛によって発見されました。長兵衛は建築用の石を探しに、手宮付近の岩壁を調査していたところ、偶然にも洞窟内の壁に模様が刻まれているのを発見したのです。

この彫刻は、1878年には榎本武楊によって学会に発表され大きな話題となりました。開拓使により、調査されていったのですが、鉄道の建設や付近の道路の整備等により洞窟の本来の姿を失おうとしていました。1921年に国指定の史跡として認定されたため、徐々に保存のための整備が始まりました。

風化を防ぐため、1949年から前面に建物を建築し、1995年には保存のための完全な温度、湿度管理のできる手宮洞窟保存館が完成したのです。この洞窟に書かれている彫刻は、はたして文字なのか、絵としてかかれているのか、発見当初より様々な意見がありました。中には大まじめに、すべてを解読したとして発表されたことも一度や二度ではありませんでした。

今では、今から1600年程前の縄文時代から弥生時代頃に、人や動物を生き生きと描いたものとして考えられています。西隣の余市町にも、同時代に書かれたと見られるフゴッペ洞窟があり、そこには舟、人、魚が描かれ、手宮洞窟に非常に似ています。フゴッペ洞窟には金属器、土器が発見され、これらはサハリンから来たものと推定され、当時の往来がかなり活発に行われていたのでしょう。

http://www6.plala.or.jp/AKAIWA/temiyakodamoji.html

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