9章 環太平洋レムリア文明 : 地球人のルーツ
http://www.project-vega.org/2014/03/12-4.html
縄文人は、荘厳(そうごん)なる宮殿をつくらず、美麗なる礼服で飾らず、外観の浮華を自慢しなかった。日本民族にとって歩むべき道とは、人間の営み(人工)が、自然を破壊してはならない、自然と調和し、人工がむしろ自然をより豊かに、より美しく繁栄させるものでなくてはならない。そのような方向に人間が進んでいく時、それを「道」と名づけるのである。人間の営為(人工)が、このように積み重ねられてゆくありさまを、「文明」と賞賛するのである。これこそ、ツラン文明→縄文日本人→日本民族、と受け継がれた根本概念である。こうしてツラン文明を正統に継承したのは縄文文明であった。

 2度目の大洪水の後、ツラン民族によるツラン文明の原型は成立しており、後のシュメール文明はこのツラン文明の南下した一分派である。「ツラン」とはシュメール語で「天の子、天の保持者、天の帯」を意味し、ツラン民族とはツラン平原で発祥し、ウラル・アルタイ語族に属し、北方アジア民族とも呼ばれ、言語はウラル・アルタイ系の膠着語(こうちゃくご:立語の中国語、屈折語のインド・ゲルマン語と文法が根本的に違う)を語り、ツランから発してユーラシア大陸全域に棲みついた民族で、北ツラン族と南ツラン族に分け、北ツラン族をウラル・アルタイ語族と称した。

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3:14pm の 2 月 15, 2016 にある 古谷 茂 のコメント

謎の契丹古伝

明 治三十八年、鴨緑江軍兵站経理部長として奉天城外の黄寺(黄帽派ラマ教の寺院?)に駐屯していた浜名寛祐 は、広部精という博識の軍人から奇妙な巻物を見せられた。それは古陵墓より発見された秘物であり、兵禍を恐れていずこかに移動した後に、その寺に厳重に託 されたということであった。
漢字で綴られているものの、言辞は漢語と異なり、寺僧にも広部にも理解することはできなかった。寺僧は書写を堅く拒否したが、好奇心旺盛な広部は庫院の管 理者の一人を籠絡して、その写本を作成し、浜名にも貸し与えた。これが「契丹古伝」発見の端緒である。

3:12pm の 2 月 15, 2016 にある 古谷 茂 のコメント

紀元前の中国史を書き換えた〝西から来た人〟とは何か?

その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変
わってしまった。


この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり(ヒマラヤの隆
起)、南東部で引き裂かれて沈没した(フィリピン海溝の形成)……。


尭・舜の時代に地球の全土は戦火に包まれ、禹(う)は洪水の後始末に追われた。


ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祀るもの、蛇身人首
の鬼を祀るものが、西から東へ次々とやって来て、我らの地に住みついた……。

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