キトラ古墳天文図複製陶板より、北斗七星付近
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6:30am の 10 月 1, 2015 にある 古谷 茂 のコメント

高松高松塚古墳・キトラ古墳~奈良県明日香村~塚http://www.uraken.net/rail/travel-urabe239.html古墳・キトラ古墳~奈良県明日香村~

9:40am の 1 月 19, 2015 にある 古谷 茂 のコメント

4:34am の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

出てきましたね!

アラハバキ

その起源は不明な点が多く、歴史的経緯や信憑性については諸説ある。東日流外三郡誌遮光器土偶の絵が示されており、それに影響を受けたフィクションなども見られるなど、古史古伝偽史的な主張と結びつけられることも多い。

アラハバキを祀る神社は約150[要出典]で、全国に見られる。東北以外では客人神(門客神)としてまつられている例が多く見られる。客人神とは本来、客人(まれびとを参照)の神で、ここでは元のその地の神(地主神)に主客転倒があったものとされる。

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今日はこれを調べてみます。

 

4:28am の 8 月 2, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

熱田神宮のご祭神である「熱田大神」にあたる存在は誰なのかという問題がいつ浮上します。

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熱田神宮 名古屋市熱田区神宮1-1-1  正面表参道の一の鳥居
祭神

御神体 草薙剣

主神 熱田大神(神剣)

相殿 天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命
注釈

 付近の市街化が進む前は海に近い伊勢湾につきだしている樹林であった。蓬莱伝説も古くからある。
徐福伝説よりも玄宗皇帝と楊貴妃のほうが語られるとのことである。*1

 主祭神を熱田大神を草薙剣とし、またこれに依りつく天照大神の魂と説明されている。

一方、わざわざ正体を隠す名にしているのは大和朝廷に遠慮したからであって、アラハバキ神等後に異端視された神ではなかったかとの見解も示されているが証拠はない。*2
 古代の尾張氏の拠点であり、相当な勢力の豪族であったが、その出自については、大和葛城の高尾張邑であるとする説もあり、地元からの自生説もあり、丹後の海部氏とはどちらが本家か、関係ないのか判然としない。
尾張氏、海部氏共通の祖神が火明命であり、饒速日命と同一視する論がある。海部氏の祖神でもある火明命は孫若御子神社、大和葛城にゆかりのある高倉下命は高座結御子神社に祀られている。
 この豊かな地域を狗奴国に比定する見解も出つつあり、日本古代史上、今後一層重要性を増してくる地域である。
 京都市左京区の
粟田神社の伝えに「往古、人皇五代孝昭天皇の皇子天足彦国押人命を祖とする粟田一族が京都で、鉱物を穿ち、粟瓜を主食として生活をし、神を祀っていた。中古、熱田神宮が奉祀されるや熱田の社人として一族もろともに移り、土地の名を残すのみとなった。粟田の臣の産土と云われている由縁である。」とあり、西からの移住者が祀った名残の伝承かも知れない
物部氏ゆかりの神社-東日本


 

3:51pm の 8 月 1, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

物部氏は、皇祖神を除いて、「天孫降臨」「国見」の逸話をもつ唯一の氏族である。

その遠祖は、伊弉諾命、伊弉冉命の子「天照大神」系「邇邇芸命」の兄「饒速日命」であるとされている(日本書紀)。
神武天皇東征時以前に既に河内国河上哮峰(いかるがのみね)に「天磐船」に乗って天降りたとされている。 更に大和の鳥見白庭山に遷ったとされている。
九州遠賀川流域から、四国の北岸を通って堺に上陸し、生駒の西の日下(草香)から大和川流域に展開したともある。 「日本」の名は、この日下から来ているとの説あり。

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「皇祖神を除いて」とは、最初に皇祖神が降臨し、それに仕えるスタッフのメンバーとして物部氏が降臨したと読み取れる。銀河系人類(ギャラクティックビーング)はフルコンシャスネス(完全意識)を備え、テレパシーや念動力などの超常能力を用いることができるから、呪術師として天皇に仕えることができたのかもしれない。

11:28am の 8 月 1, 2014 にある 獅子 ark 666 のコメント

この十種神宝こそがエデンの園にあったとされる生命の樹なのだと思います。

物部氏(国津神)は呪術に長けた一族であり、「もののふ」の祖であります。

天津神たちはその魔力を恐れて、一族を倒し、滅ぼしておきながらも神(裏の神・艮の金神)として祀ることでそのチカラを利用しようとしてきました。

尾張と物部氏は縁が深く、ニギハヤヒの子どもであるタカクラジが尾張氏の祖であり、同じくその弟であるウマシマジが物部の祖となり、名古屋にも物部氏が住んでいた地域が残っています。さらに、熱田神宮のご祭神である「熱田大神」にあたる存在は誰なのかという問題がいつ浮上します。

それから、こんな逸話もあります。信長は伊勢神宮の外宮に神殿を築こうとしたため、内宮のイエズス会によって暗殺されたのだと。。。その信長の遺志を継いで秀吉、家康が天下を治めたという説もあります。歴史の裏には宗教上の隠された秘密があるようですね!

それから、下記の画像は、私が中学生の時に北海道を訪れた際に、ダダをこねてまで母に買ってもらった手彫りのアイヌのニポポの人形です。小学生の時にはコロボックルの話が大好きで、図書館で借りてはそのシリーズを読んでいました。

知らず知らずのうちに、自分のルーツを追い求めていたのかもしれません。

11:13am の 8 月 1, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

天璽瑞宝(あまつしるしのみずたから)

イントロダクション 物部氏

本拠地には、河内国渋川郡・若江郡の一帯をあてるのが有力です。
五世紀代の大阪平野中央部の開発において技術集団の掌握に関与し、その地位を上昇させることに成功。五世紀後半に入ると大和国山辺郡の石上にも強固な拠点を持つに至り、雄略朝には最高執政官のひとつ「大連」を出すようになりました。皇位継承争いにおける、軍事的な活躍がその背景ともいわれます。
物部の伴造として軍事・刑罰を掌り、ヤマト王権の勢力伸張に寄与したことは、諸豪族連合体から中央集権型国家へ向かう古代史の流れのなかで、物部氏が小さからぬ歴史的役割を果たしたものと見られます。
六世紀中葉の大伴大連失脚により全盛期をむかえましたが、六世紀末に蘇我氏と対立して敗れ、以後勢力は衰えました。
七世紀末に台頭する石上氏は、天武朝に物部氏の一流が改めたもので、大臣を輩出し氏族復興を成し遂げています。
その祖神をめぐっては、降臨・国見の伝承を持つことで知られ、王権内における位置づけはやや特異といえます。新撰姓氏録に載る石上氏同祖系氏族は113氏を数え、全体の9.6%を占めるなど、同族が多く存在します。また、広範な地域分布でも知られます。
まさに、古代最大の氏族と呼ばれるのにふさわしいのが、物部氏です。

11:06am の 8 月 1, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

十種神宝

十種神宝とは

 物部氏の祖、神饒速日命が天神御祖より授けられた宝は、羸都鏡(おきつかがみ)一、邊都鏡(へつかがみ)一、八握劔(やつかのつるぎ)一、生玉(いくたま)一、死反玉(まかるがえしのたま)一、足玉(たるたま)一、道反玉(みちがえしのたま)一、蛇比禮(おろちのひれ)一、蜂比禮(はちのひれ)一、品物比禮(くさぐさのもののひれ)一の十種の天璽瑞宝である。    これらを授けるときの教えが「布瑠之言」である。
 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむ

 

10:46am の 8 月 1, 2014 にある 古谷 茂 のコメント
10:45am の 8 月 1, 2014 にある 古谷 茂 のコメント

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