清天宮 12頁 宇宙船としてのUFO-2

空 飛ぶ円盤が宇宙から来た宇宙船に類する乗り物ならば、当然、それを操縦する知的生物が想定される。しかし無数のUFO着陸事件は、ほとんど突発的で、乗員 から花束を奪われようとしたとか、水と交換にパンケーキを貰った、というような意味不明の内容が多い。彼らが“知性”ある存在ならば、そのような怪奇的な 現れ方、近づき方よりも、知的で計画的な接近があってもよさそうである。その
実例は確かにある。1958年から1959年にかけてパプア・ニューギニアにおいて英国人牧師と原住民多数による
UFO 目撃事件が続発した。それらはランプのような光、月のような円形物体、太陽よりも 明るい光、など典型的なUFO現象を示し、1959年になると、それらは目撃者たちに近い空間に現れた。1959年6月24日午後9時頃、パプア島ドナイ アイ山で、明るい光がたいまつのような長い尾をひきながら、山頂上空から目撃者の頭上を高速で飛行。雷のような轟音が一度聞えた。1959年6月26日午 後6時45分から10時30分の間、パプア島ボイアナイに円盤が飛来。円盤の上部に人影が目撃された。目撃者はジル神父をはじめ現地人牧師他住民35名 で、目撃者はその場で目撃記録を書き署名した。円盤は滞空状態のまま、ときおり降下したり、スポットライトを空に照射したり、上部の人影が移動するなど 様々な変化をみせた。1959年6月27日午後6時、パプア島ボイアナイ上空に大型円盤が飛来、ジル神父、教師、パプア人看護婦他住民多数が見守る中、円 盤の上部に4人の人影が現れた。目撃者はこう語る。「円盤の上部に人影が見えた。4人だ。たしかに人間だった…乗員の一人は、手すりにもたれて、こちらを 見下ろしていた。私が手を上げて振ると、驚いたことにその人影も同じ動作をするではないか。アナニウスが両手を上げて振ると、今度は2人が同じことをし た。アナニウスと私が手を振ると、4人とも手を振ってこれにこたえた。皆、大きな溜息をついた」①
大きな物体から放出 される小型の探査機とみられる飛行体は、しばしば火の玉のような自然現象的な外観を呈する。1951年11月2日米テキサス州上空においてDC-4旅客機 の乗員は、飛行機と同じサイズの飛行物体から全方向に火の玉ボールが発射されるのを目撃した。②これらの奇妙な緑の火球は
核実験に伴う放射性降下物を追うように、1950年代のネバダ核実験時代、全米で目撃された。
  UFOの乗員は古代における「神々」ではなかったかとする説がある。確かに、UFO の知性的な振る 舞いの中に、カトリックの総本山バチカン上空で十字を形成した編隊飛行(1954年11月6日③)は、UFOが宗教的施設に関心示した実例といえる。宗教 者にとっては、UFOの出現によって、教会の中に神を求めるか、空の中に主を求めるか、という選択を迫られることになるのかも知れない。
  1800年代より海洋を航海する帆船の乗組員は海中から現れる円盤を目撃し、殊にペルシャ湾やインド洋はその多発海域として知られ、海洋研究史において、 はたまた海上守護の民間信仰において、海中を自由に出入りする飛行物体や光り物の記録がある。高度な飛行技術を持つ宇宙からの地球探査があったなら、当然 地球表面積の約71.1%を占める海洋や海底は、それらの知的調査の対象となるだろう④。

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このディスカッションに返信

The UFO mythology in Japan--6

日本の神話は大変複雑です。そして日本を統治する支配者によって編集されました。神話の材料は人々の中にあります。それらは口から耳へと伝達されました。天皇の家はskyから来たことを主張しました。従って、skyに関するアイテムは神話の中に散在します。それらを現代のUFOと比較して考えるのが私の仕事です。

The Japanese myth is very complicated. And it was edited by the ruler who governed Japan. There are the mythical materials in people. They were transmitted from a mouth to an ear. The house of the Emperor insisted on having come from sky. Therefore, the item about sky lies scattered in a myth. It is my work that think about them in comparison with a modern UFO.

日本の神話は、非常に難しくなります。
そして、それは、日本を統治した統治者によって編集されました。
神話の材料が、人々です。
彼らは、口から耳まで送られました。
天皇の家は、空から来たと言ってゆずらなかったです。
したがって、空についてのアイテムは、神話で散らばっているままです。
現代のUFOと比較すると彼らのことを考えるのは、私の仕事です。

 

The UFO mythology in Japan--7

Chapter Ⅲ
神話文献からのUFO的描写
Description of the UFO from myth books

"TAKAMAGAHARA" is the world on the sky. The gods were born there. The place is a God's country governing Japan. There are some opinions about the place. There are this "name "imagination" two of another land" in an established concept. However, the scholar of the Edo era insisted, "there was it in the space". This is the mythical form that was common to the whole world. There are "ground world" and "heaven" in the world myth. The gods make a round trip to "heaven" and "ground".The myth tells, "God looks down at the earth from a cloud". This expression becomes the grounds that the house of gods exists in the air.

日本の神話の形。
「TAKAMAGAHARA」は、空の世界です。
神は、そこで生まれました。
場所は、日本を統治している神の国です。
場所に関する若干の意見が、あります。
そこで、「「想像力」をもう一つの土地の2つと呼ぶ」ことはこの確立した概念の中にあります。
しかし、「それが、スペースにありました」と、エド時代の学者は主張しました。
これは、全世界に共通だった神話の形です。
「基本の世界」と「天国」が世界神話です。
神は、「天国」と「地面」へ往復旅行をします。
「神は、雲から地球を見下ろします」と、神話はわかります。
この表現は、神の家が空気中に存在するという根拠になります。

The UFO mythology in Japan--9

Chapter Ⅳ
日本の神話のUFOイメージの場面
The scene of the UFO image in Japanese myth

The Japanese myth is written in a kanji. However, the kanji was told to Japan by China. Therefore, the mythical model is words. The myth was transmitted from a mouth to an ear. Those people are called "a professional reciter".

The kanji that wrote a myth obeyed the pronunciation of words. A kanji to pronunciation was used for the name of God and the name of the person. However, a kanji with a meaning was spent the mythical item for. In other words, the kanji expresses form and a function. We can thereby imagine a vehicle of God. I expressed the some images in one place of figure.
日本神話は漢字で書かれている。しかし、漢字は中国から日本に伝えられた。従って、神話の原型は言葉である。神話は口から耳へと伝達された。その人々を「語り部」という。

神話を書いた漢字は言葉の発音に従いました。神の名前や人の名前は発音に合わせた漢字が使われました。しかし、神話のアイテムは意味を持つ漢字が使われま した。即ち、その漢字は形と機能を表しています。それによって、我々は神の乗物を想像することが出来ます。そのイメージを私は一枚の図に表現しました。

清天宮 この目撃は1979年夏に英国で36歳の主婦が遭遇した事件とのことです。あまりにも情報が多くて要点をつかみ切れませんが、舟のような湾曲がみられます。
私も実は1960年代に横浜の矢口台という所で太陽に向かってゆっくり進む白い湾曲した“舟”を先輩と共に見ました。「ほら太陽にむかっていくぞ」と彼は言いました。

清天宮 こ れは1954年11月6日、米国テキサス州のパードリ島(Padre Island)で、レイ・スタンフォードStanford兄弟と仲間が目撃したもので「三日月形」と表現されています。全体は土星のような円盤形なのです が、内部構造の「三日月」が実体として光を放ち、着陸すると、このような“器”のようになるようです。
 このように円盤が底の皿状を強調して、ドームである丸屋根や翼をぼやかすと、あたかも舟のような形になります。

The UFO mythology in Japan--12

神の乗物である鳥船
The bird ship which is a vehicle of God
The reason Takemikazuchi no kami descended from heaven with Amanotorifune was that Raijin (god of lightning) was considered to traverse Tenchi (the world) by riding the ship.
From the Kojiki—Birth of the Various Deities 

建御雷神が天鳥船とともに天下ったのは、雷神は船に乗って天地を行き来すると考えられていたためである。

The UFO mythology in Japan--24

The stone which ticked away the form of the rocket was discovered in Kumamoto by a private citizen. The slim cigar-formed form was expressed on the rope of the Shinto shrine. I speak it later.

ロケットの形を刻んだ石は、民間人によって熊本県で発見された。細長い葉巻状の形は、神社の縄にも表現された。それについては、後で述べる。

宇宙への扉を開く古代日本の真実-収穫期Harvest--81
■2008年9月14日奈良100年会館 言霊リレー講演会「楽観」 主催:マザーはるひ 
天宮アイヌと空飛ぶ円盤」1時間30分講演。スライドも使用。司会は書道家の加藤純子氏
中山康直「環境維新と人類即位」
荒田栄誠「神武天皇と天武天皇の謎-私の使命」
別府空由師「巨大前方後円墳上に於ける神秘感応」
アイヌと空飛ぶ円盤」の概要:北海道に住むアイヌ民族には文字がなかったが、沙流川沿岸に住む人々は口承によって代々神話を伝えて来た。「ユカラ」「オイナ」などという。「アイヌ聖典」には内地で見られる「光り物」をシンタといっている。しかも大和の饒速日のように、オキクルミという神が乗っていたと詠われる。
※写真は撮影担当の松村芳之氏(久保田八郎著『UFO・遭遇と真実』にUFO目撃体験が紹介されている)による全記録DVDからの画面接写より。



古谷 茂 の発言:

2008年9月14日奈良百年会館演題「アイヌと空飛ぶ円盤」要旨   天宮清

■UFО問題のあれこれ
 UFО、未確認飛行物体は、昔「空飛ぶ円盤」と呼ばれた。それは文字通り、円盤の形をした謎の飛行物体が世界各地で目撃されたからである。それは、飛行 機では出来ない飛び方や、無音で音速を超えるなど、地球の物理法則さえ無視するものだから、「円盤型の飛行物体は地球外から来た宇宙船に違いない。我々の 知らない法則で飛んでいるようだ」という認識が広まったわけである。
 初期の頃、人間の肉眼が誤認を犯し易いということで、錯覚説が幅をきかせたこともあった。しかし今日、レーダー面上における記録や、カメラやビデオといった映像記録の発達によって、それら「未確認の飛行物体」の姿形は、多くの大衆の知るところとなっている。
 それでも「百聞は一見にしかず」と通り、人の話やテレビ番組に映るUFОを何度観賞しても、自分の眼でそれらしき不思議な物を目撃するのとは、受け止め方に大きな違いがある。
 自分の眼で見てしまった以上、それまで“他人事”だった話題が、突如として自分自身の問題となって、眼前に立ち現れたことになる。
 “UFОに関わるのは、誘拐されそうで怖い”という方がいるかも知れないが、それはテレビ番組の見過ぎかも知れない。本来、UFО問題とはすばらしい世 界なのだ。彼等空飛ぶ円盤の搭乗者が現実に、地球に来ているとなったら、どういうことが言えるのか、その辺をよく考えてみるべきである。
 行き詰まり文明、未来の描けない社会にとって、恐らくは恒久平和への道を発見し、文明と人生に余裕をもった宇宙社会が現実に存在し、この宇宙の辺境小さ な地球にまで、足をのばしているとしたら、それはまさしく「人類の希望の星」と言えるのではないか。そうした宇宙人に対し、すがりたい思いになるのは、日 本の政治家ばかりではないだろう。
 少なくとも「目に見えない神様」たちよりは、目で見えるUFОたちのほうが価値は高いとは言えないか?この主張が正しいとすると、UFОの存在は全宗教に対する宇宙からの挑戦になるかも知れない。
 従来からの電波望遠鏡によるET電波探索は、自分達の頭上に広がる空の世界を素通りして、遙か彼方の天体に思いを馳せている。
 UFО目撃者たちは、現実の空の中に、人智を超えた飛行物体を観察し、その知的コントロールの中に、我々のレベルを超えた知性的意思を読み取ろうとしている。
 「電波」と「目撃」、どちらが正常な宇宙知性への接近方法か。議論が分かれるところだが、電波探索は一種“競争世界”の観を呈していないか。「誰が一番 先に、ETとの交渉権を獲得するか」というレースのようにみえる。これでは動機が疑われる。つまり、地球外技術を、他国により先に入手した者が世界を制覇 できる、というヒトラーに続く者の理屈である。いつまでも支配妄想にとりつかれていては本当の進歩には縁がないであろう。
 いわゆる、「UFО研究」には、様々な道がある。もう60年以上の歴史あるUFOLOGYユーフォロジーである。その間、欧米諸国に多くのUFО学者が 名乗りをあげ、膨大な著作物を発表し、各国空軍や民間における目撃・遭遇情報を公開しつつ、その奥にあるテーマの数々を提示してきた。
■UFОの起源、或いはその歴史
 「空飛ぶ円盤は昔から来ていた!」・・・これは40数年前、私の先輩達が探索した分野であり、彼らはUFО現象の記録が、人類の歴史と共に古いことを確認した。
 日本の古い都であり、神社仏閣に居住する文人達が集まっていた京都・奈良には、豊富なUFО古記録がみられるのはよく知られている。
 昔の人の見た未知なる飛行物体は、日本書紀を始め、日記、夜話、何々草、拾遺記といった文集に記載されている。それらは、創作ではない。見聞録のようなものだろう。舞台の多くは神社仏閣、また信仰の山が多い。例えばこんな具合である。
 法成寺(京都)では「大きな星と小さな星がうごく」、西源院(京都)では「異類異形の物」、金戒寺(京都)では「たくさんの光り物」、南禅寺(京都)も 同様。法興寺(奈良)では「紫雲或いは花蓋形の五色変化」、大神神社(奈良)では「日輪の如き物の降下」、春日山(奈良)では「音を出す黒い物体の飛 行」、東大寺(奈良)では「月ほどの赤い光物の飛行」、阿弥陀寺(奈良)では「金色の龍の飛行」、多武士峰(奈良)では「蓋の形の雲」、葛城嶺(奈良)で は「空中を行く龍に乗る人」、胆駒山(奈良)でも同様。
 似たような記述は、日本ばかりではなく、中世のヨーロッパにもあるし、中国大陸では『天文志』という特別な空の記録文書に集中的に記載されている。
 そして、更に歴史を遡ると、「空から来て、人々を教えた英雄」の物語にたどりつく。その時代では、もはや不明の飛行物というより、神々の乗り物とか、英雄が乗る空中船といった具合に認識されており、それらを含む壮大な物語を、我々は「神話・伝説」として扱っている。
 そうした太古の物語とは、古代人のたくましい想像力が生み出したものなのか、何らかの歴史的事実を反映したものなのか、ここでも解釈が分かれるところである。
 学者の中には、これら天と地の接触物語は、宇宙から来た文明人による原始人類の教育とする説もある。英国のUFО研究学者トレンチ伯爵は、天から来て、未開の人類を導いた文化英雄を「Sky People 天空人」と名づけた。
■「天上の人々」
 1960年代に旧ソ連電波天文学者でソ連版“オズマ計画”を推進させたイ・エス・シクロフスキーShklovskii著『宇宙人! 応答せよ』には、1959年のM.M(マテスト).アグレストの言葉として、こう紹介されている。
  「他の惑星人がかつて地球を訪問し、地球人と出会っていたならば、このような大事件は伝説や神話に必ず反映されている筈である。当時、地球に住んでい た原始的な人間にとって、これらの宇宙人は超自然力をもった神のような存在に見えたにちがいない。これらの不思議な生物は、おそらくは再び《天》にもどっ ていったであろう。そして、神話のなかでは、この《天》が特別な意味を与えられたに違いない。また、これらの《天上の人々》が地球人に手先の仕事や、とき には科学の基礎知識を教えたということも考えられる。これもおそらくは伝説や神話のなかに反映されているにちがいない。」
 アグレストの問題提供自体は、まったく合理的なものであり、綿密な分析に値すると思われる。周知のとおり、まだ文字を知らなかった諸民族のあいだで生ま れた神話や伝説は、大きな歴史的な価値をもっている。たとえば植民地以前の黒いアフリカの、文字を持たなかった諸民族の歴史は、伝説や神話を主体とする口 碑文学から大部分現在復元されつつある。
 1786年、有名なフランスの航海家ラ・ペルーズ(1741~88)は、北西アメリカのインディオを訪問した。100年後、この訪問を伝えた伝説や神話 を分析した結果、ラ・ペルーズの乗っていた軍艦の外見さえも正確に復元することが出来た。この例は、前に述べた宇宙人の訪問にもあてはまるであろう。原始 的な原住民にとって、ヨーロッパ人の最初の訪問は、あたかも空から宇宙人がやってきた場合と同じように受け取られていたからである。世代を経るにしたがっ て、事実はいろいろな空想によって多少とも粉飾されたが、しかし、根本的なものはそのまま残った。しかも本当の話に空想的なものを付け加えることは、民俗 学や言語学で知られている一定の法則にしたがって生ずるものだからなおさらである。
 こうした天から来た文化の祖は、日本にも伝えられている。記紀に登場する大国主命、素盞嗚命などは、文化の祖の面影を伝えてはいるが、特に空を飛ぶ具体的な乗り物、という形が伝えられていない。
 ところが、その飛行物体を鮮明に伝える物語が、この日本列島にある。それは今や北方に追いやられた日本原住民アイヌの伝える物語なのである。
■アイヌ文化の祖
言語学者金田一京助氏は、東京帝国大学の学生時代にアイヌ部落を訪れ、彼等が今に伝える伝承を取材した。伝承というものは、親から子へ、子から孫へと人から人へ伝えられてゆく。民族が絶滅しない限り、伝承は続くから、彼らの血液、遺伝子のようなものである。
 さて、我々は子供の頃に歌った小学校唱歌をよく覚えていると思う。たとえ歌詞の意味はわからなくても、だ。例えば「荒城の月」という歌がある。「はるこ うろうのはなのえん。めぐるさかずきかげさして」と我々は記憶しているが、歌っている当時はその意味がわからなかった。ところが大人になって、ふと歌詞を 思い出し、高殿で花をめでる宴会が開かれ、さぁさ一杯どうぞ、という具合に杯が人が人へ巡る、そこに月光が差す、ああ、この情景なのか、と気がつく。
 アイヌの伝承者は、親から聞いた言葉を正確に覚えて次に伝えた。たとえ意味がわからずとも、伝承者の家族は、囲炉裏のそばで、囲炉裏の縁をたたいて調子 をとりながら謡う親の言葉を何回も何回も聞いて覚えた。そのアイヌ語の伝承に出会った金田一京助氏は、伝承者から歌を聞き、それをローマ字で筆記し、「こ れで良いか」と伝承者に確認をとった。そうしたら伝承者はぶったまげた。我々の仲間でさえ、何回聞いても覚えないものを、この先生は一発で覚えた、凄い先 生だ、と。
 金田一氏のほうは、その構成が、あの世界的に有名なホメロスの叙事詩と同じであることに気付き、「アイヌとは、このような叙事詩を伝える優れた民族なのだ」と気がついた。
 しかし、金田一氏のやった仕事は、アイヌ語を正確に日本語にする翻訳であった。そこに何が物語られているか、その辺まで踏み込むことはなかっただろう。
 その翻訳された叙事詩を読んだ現代のUFО研究家が、「これは世界共通の宇宙人来訪の事実の反映ではないか」と解釈した、つまり何が物語られているのかを探り当てたのである。
■アイヌ伝承の中の空中機械
 ここで言うアイヌの伝承とは、「ユーカラ」或いは「カムイユーカラ」とは少し違う「オイナ」という人文神自身の語る物語である。
 つまり主語はアイヌ文化の祖といわれる「オキクルミ・カムイ」自身なのだ。東京帝国大学講師・文学士の肩書きで、金田一京助氏が大正12年(1923年)に出した『アイヌ聖典』「カムイ・オイナ」の冒頭にはこう記されている。
 「神の工(たくみ)の山城の 我を育てし山城の 東の軒 山城の西の軒
 日輪の象(かたち)をえがき、そのおもて 二重(ふたへ)の明光
 三重(みへ)の明光 差し延(は)へて 山城の際 照りわたり
 輝きわたる」
つまり、カムイの住む城には、今日で言えばネオンサインのような印が、同心円のように輝いていた、というのである。
 この「輝く同心円」というシンボルは、アイヌに限ったことではないらしい。というのは、九州の装飾古墳といわれる墳墓の内部には、この同心円を中心にした意味不明の彩色紋様が描かれているからである。
 そして、彼オキクルミ・カムイが敵地に赴くときに、使用したのが「シンタ」という乗り物である。 
 シンタとはアイヌ語で「揺り篭」のこと。赤ん坊を入れて天井から吊るす揺り篭のことだが、世界のどの民族でも、このように日常の道具や生き物の名前で、そうした神の乗り物を表現している。
 次の文句を見ていただきたい。
「アウンチセヘ わが家の
エンカシケ 真上に
オシンタアッテ  乗る所の神駕を 駐め」
※「シンタ」とは館の上空でホバーリングする能力を持つようだ。
「カニシンタ 金の神駕
オカヒケ 在りけるが
シンタウプソロ 神駕の内へ
アチェシタイキ われ飛び乗り
シンタヅカ 神駕の 柄を
アテクサイカレ われつかむ」
※「シンタ」とは、人間の身体を中に入れる大きさを持つもののようだ。
「カンナニシサム 天際に
チオリキンカ のぼりゆき
イマカケタ さて後に
ペケンレラネ 光風の如く
アツイソクルカ 海づらかけて
アマウノイェレ われ飜りゆく
ヅペシクシクネ 数々の波紋の如く
レペシクシクネ 数多の波紋の如く
ウラコチュプ 相もつれ
ウマウコノイェ 相もつれ」
・・・UFОを目撃した人なら、円形の物が、回転しつつ飛行する場合、「波紋の形がもつれながら」という表現に、「なるほどな」という思いを生じないだろうか。少なくとも私個人は、この個所を読んで、自分のUFО目撃を連想した。
 ちなみに「光風の如く」の解説を、金田一氏は「目にもとまらず、軽く疾く行く意」としている。
■アイヌラックルの装束
 「Aioina kamuiアイオイナカムイ」即ち「我々がいつまでも忘れずその人を云い継ぎ語り継ぐべき神」或いは「アイヌラックル」人間くさき神、 そして実名を「オキクルミカムイ」と言う、この存在は、いざ出陣というとき、何か鎧のような特殊な装束を身につけていたらしい。
 生身は危険なので、防御の衣服を身につける、というのなら、これはもう古代アイヌの人ではなく、どこからか来た文明人を思わせる。
「カニハヨクペ 金の鎧の
チキンネアラパ 両脚を蔽ひ
チクネアラパ 両腕を蔽ふ
カムイ ハヨクペ 神の鎧を
サナサンケ 取り出して
イコタララ 我に延ぶ。
ウプソロロケ そのふところへ
アオシキル 我入り」
ウオクカネクッ 金の合帯」
「トムサム カシ 胸のあたり の上
ミネ カネ さんらんと
イミカム カネ 著成し」
「オウフイアッヅシ 裾の焦げたる 厚司(と)
オウフイ カサ 兜(とを)
イコレ チキ 我に與へければ
裾の焦げたる 厚司を
我が着物の上へ打ち襲(かさ)ね」
※どうやら、オキクルミの衣装は、最初のつなぎ風の着衣(中に入るというから、着るというより、入るのであろう)の上に民族的衣装「厚司」を重ね着していたらしい。
 ここで「兜」という文字が出てくる。アイヌ語の「kasaカサ」は日常的な用語辞典にはないので、特殊なものらしい。
 ねま、ここで胸の部分について唄われるが、金田一氏の別著「アイヌの神典」によると、胸の板には唐草模様の刺繍があった、と伝えている。
 実は、この唐草模様を胸につけた縄文土偶が室蘭から発見されている。
 その土偶はあの眼鏡をかけたように見える遮光器土偶の系統に属するとそれていて、顔だけは素顔に見える。
 もし、この関連性が裏づけられるならば、アイヌの神話世界と考古学遺物とが、合流することになる。
 さて、オキクルミカムイの活動拠点は「HAIOPIRAハヨピラ」といって、沙流川の沿岸にあり、1962年から1970年にかけて、日本のUFО研究団体CBAが土地を買い取り、そこにオベリスクとピラミッドなどを建設した。私はその建設工事に参加した一人である。
 その後、人手不足で放置されたまま廃墟のように荒廃したが、近年になり、地元平取町に移管されて、町の手によって残骸が取り除かれ、生い茂っていた樹木も伐採されて整備されている。私の青春の思い出が、この北海道のアイヌ聖地にある。
 アイヌとはアイヌ語で「人間」の意味である。我々は人間らしく、生きるためにも、忘れ去られた古代日本の姿に、もう一度目を向けるべきと考える。

天宮

March 15, 2016

予告
教科書的に喧伝されてきた記紀神話上の天孫族は、日向の国に天降り、天皇家の先祖となる系譜を描き、天皇家が天孫族の末裔ということで、“現神人”の思想 が戦前の日本にあった。このかたちは、海外の研究家でも注目されたようで、ユダヤ人研究家やUFO研究家が、神国日本を憧れの土地とみた、中には天孫民族 日本人を未来のUFO界を指導する国民とみたウィリアムスンのような人もいたようである。“日本人天空起源説”は、アイヌ研究で来日したシスター・ヒルガー女史にも影響を与えたようで『Japan's "Sky People" the Vanishing Ainu』という本を書かせた。
 日本原住民の立場から言うと、神話的神武天皇は、既に栄えていた土着国家の上に支配権を確立した侵略者となる。しかも、土着の文化は大和朝廷と互角に戦 う能力もあり、それ以前に平和な国土が永く続いていた。その精神的なかたちは装飾古墳にみられる同心円を主体とした幾何学的文様であり、複数の円文に諸手 を挙げる王や、渦動状の天空物体の下で手を繋ぐ国土の姿があった。さらに北方アイヌには天から来訪して文化を授けた文化神が語り継がれていた。その内容は装飾古墳の図形を伝承化させた内容である。即ち古墳に描かれた太陽の舟は文化神の乗る「シンタ」であり、アイヌ聖典冒頭に詠われた「二重三重の明光」の形は、祭壇に据える信仰対象であった。さらに日本全土の現実の空には、怪火と不知火の現象史があって、その表現と伝承は、装飾古墳紋様図形とアイヌ伝承に一致するのである。これこそが古代日本の真の姿であり、島国日本に配置された宇宙文化遺産である。
 大いなる宇宙文化の流れは、1947年を経て空飛ぶ円盤飛来の事実と合流したのである。しかも、その記録を研究し、UFOを古代から地球を訪れている宇宙来訪者とする“宇宙の民”が活動を開始していた。
 全世界UFOウェーブの1965年、“宇宙の民”はここ日本列島において、全世界を合わせた数ほどののUFO目撃と、地球をカバーする全宇宙艦隊の集合を目撃した。
 あれから50余年、いま、日本列島に“宇宙の民”はいるのか? その問いかけと、厳正なる検証が、「宇宙への扉を開く古代日本の真実-収穫期」の主題で ある。読者各位の心の中に確信したことこそが、その検証を完成させ、その各位の精神が未来へと引き継がれる。 2016年3月15日更新  天宮


古谷 茂 の発言:

宇宙への扉を開く古代日本の真実-収穫期Harvest--81
■2008年9月14日奈良100年会館 言霊リレー講演会「楽観」 主催:マザーはるひ 
天宮アイヌと空飛ぶ円盤」1時間30分講演。スライドも使用。司会は書道家の加藤純子氏
中山康直「環境維新と人類即位」
荒田栄誠「神武天皇と天武天皇の謎-私の使命」
別府空由師「巨大前方後円墳上に於ける神秘感応」
アイヌと空飛ぶ円盤」の概要:北海道に住むアイヌ民族には文字がなかったが、沙流川沿岸に住む人々は口承によって代々神話を伝えて来た。「ユカラ」「オイナ」などという。「アイヌ聖典」には内地で見られる「光り物」をシンタといっている。しかも大和の饒速日のように、オキクルミという神が乗っていたと詠われる。
※写真は撮影担当の松村芳之氏(久保田八郎著『UFO・遭遇と真実』にUFO目撃体験が紹介されている)による全記録DVDからの画面接写より。



古谷 茂 の発言:

2008年9月14日奈良百年会館演題「アイヌと空飛ぶ円盤」要旨   天宮清

■UFО問題のあれこれ
 UFО、未確認飛行物体は、昔「空飛ぶ円盤」と呼ばれた。それは文字通り、円盤の形をした謎の飛行物体が世界各地で目撃されたからである。それは、飛行 機では出来ない飛び方や、無音で音速を超えるなど、地球の物理法則さえ無視するものだから、「円盤型の飛行物体は地球外から来た宇宙船に違いない。我々の 知らない法則で飛んでいるようだ」という認識が広まったわけである。
 初期の頃、人間の肉眼が誤認を犯し易いということで、錯覚説が幅をきかせたこともあった。しかし今日、レーダー面上における記録や、カメラやビデオといった映像記録の発達によって、それら「未確認の飛行物体」の姿形は、多くの大衆の知るところとなっている。
 それでも「百聞は一見にしかず」と通り、人の話やテレビ番組に映るUFОを何度観賞しても、自分の眼でそれらしき不思議な物を目撃するのとは、受け止め方に大きな違いがある。
 自分の眼で見てしまった以上、それまで“他人事”だった話題が、突如として自分自身の問題となって、眼前に立ち現れたことになる。
 “UFОに関わるのは、誘拐されそうで怖い”という方がいるかも知れないが、それはテレビ番組の見過ぎかも知れない。本来、UFО問題とはすばらしい世 界なのだ。彼等空飛ぶ円盤の搭乗者が現実に、地球に来ているとなったら、どういうことが言えるのか、その辺をよく考えてみるべきである。
 行き詰まり文明、未来の描けない社会にとって、恐らくは恒久平和への道を発見し、文明と人生に余裕をもった宇宙社会が現実に存在し、この宇宙の辺境小さ な地球にまで、足をのばしているとしたら、それはまさしく「人類の希望の星」と言えるのではないか。そうした宇宙人に対し、すがりたい思いになるのは、日 本の政治家ばかりではないだろう。
 少なくとも「目に見えない神様」たちよりは、目で見えるUFОたちのほうが価値は高いとは言えないか?この主張が正しいとすると、UFОの存在は全宗教に対する宇宙からの挑戦になるかも知れない。
 従来からの電波望遠鏡によるET電波探索は、自分達の頭上に広がる空の世界を素通りして、遙か彼方の天体に思いを馳せている。
 UFО目撃者たちは、現実の空の中に、人智を超えた飛行物体を観察し、その知的コントロールの中に、我々のレベルを超えた知性的意思を読み取ろうとしている。
 「電波」と「目撃」、どちらが正常な宇宙知性への接近方法か。議論が分かれるところだが、電波探索は一種“競争世界”の観を呈していないか。「誰が一番 先に、ETとの交渉権を獲得するか」というレースのようにみえる。これでは動機が疑われる。つまり、地球外技術を、他国により先に入手した者が世界を制覇 できる、というヒトラーに続く者の理屈である。いつまでも支配妄想にとりつかれていては本当の進歩には縁がないであろう。
 いわゆる、「UFО研究」には、様々な道がある。もう60年以上の歴史あるUFOLOGYユーフォロジーである。その間、欧米諸国に多くのUFО学者が 名乗りをあげ、膨大な著作物を発表し、各国空軍や民間における目撃・遭遇情報を公開しつつ、その奥にあるテーマの数々を提示してきた。
■UFОの起源、或いはその歴史
 「空飛ぶ円盤は昔から来ていた!」・・・これは40数年前、私の先輩達が探索した分野であり、彼らはUFО現象の記録が、人類の歴史と共に古いことを確認した。
 日本の古い都であり、神社仏閣に居住する文人達が集まっていた京都・奈良には、豊富なUFО古記録がみられるのはよく知られている。
 昔の人の見た未知なる飛行物体は、日本書紀を始め、日記、夜話、何々草、拾遺記といった文集に記載されている。それらは、創作ではない。見聞録のようなものだろう。舞台の多くは神社仏閣、また信仰の山が多い。例えばこんな具合である。
 法成寺(京都)では「大きな星と小さな星がうごく」、西源院(京都)では「異類異形の物」、金戒寺(京都)では「たくさんの光り物」、南禅寺(京都)も 同様。法興寺(奈良)では「紫雲或いは花蓋形の五色変化」、大神神社(奈良)では「日輪の如き物の降下」、春日山(奈良)では「音を出す黒い物体の飛 行」、東大寺(奈良)では「月ほどの赤い光物の飛行」、阿弥陀寺(奈良)では「金色の龍の飛行」、多武士峰(奈良)では「蓋の形の雲」、葛城嶺(奈良)で は「空中を行く龍に乗る人」、胆駒山(奈良)でも同様。
 似たような記述は、日本ばかりではなく、中世のヨーロッパにもあるし、中国大陸では『天文志』という特別な空の記録文書に集中的に記載されている。
 そして、更に歴史を遡ると、「空から来て、人々を教えた英雄」の物語にたどりつく。その時代では、もはや不明の飛行物というより、神々の乗り物とか、英雄が乗る空中船といった具合に認識されており、それらを含む壮大な物語を、我々は「神話・伝説」として扱っている。
 そうした太古の物語とは、古代人のたくましい想像力が生み出したものなのか、何らかの歴史的事実を反映したものなのか、ここでも解釈が分かれるところである。
 学者の中には、これら天と地の接触物語は、宇宙から来た文明人による原始人類の教育とする説もある。英国のUFО研究学者トレンチ伯爵は、天から来て、未開の人類を導いた文化英雄を「Sky People 天空人」と名づけた。
■「天上の人々」
 1960年代に旧ソ連電波天文学者でソ連版“オズマ計画”を推進させたイ・エス・シクロフスキーShklovskii著『宇宙人! 応答せよ』には、1959年のM.M(マテスト).アグレストの言葉として、こう紹介されている。
  「他の惑星人がかつて地球を訪問し、地球人と出会っていたならば、このような大事件は伝説や神話に必ず反映されている筈である。当時、地球に住んでい た原始的な人間にとって、これらの宇宙人は超自然力をもった神のような存在に見えたにちがいない。これらの不思議な生物は、おそらくは再び《天》にもどっ ていったであろう。そして、神話のなかでは、この《天》が特別な意味を与えられたに違いない。また、これらの《天上の人々》が地球人に手先の仕事や、とき には科学の基礎知識を教えたということも考えられる。これもおそらくは伝説や神話のなかに反映されているにちがいない。」
 アグレストの問題提供自体は、まったく合理的なものであり、綿密な分析に値すると思われる。周知のとおり、まだ文字を知らなかった諸民族のあいだで生ま れた神話や伝説は、大きな歴史的な価値をもっている。たとえば植民地以前の黒いアフリカの、文字を持たなかった諸民族の歴史は、伝説や神話を主体とする口 碑文学から大部分現在復元されつつある。
 1786年、有名なフランスの航海家ラ・ペルーズ(1741~88)は、北西アメリカのインディオを訪問した。100年後、この訪問を伝えた伝説や神話 を分析した結果、ラ・ペルーズの乗っていた軍艦の外見さえも正確に復元することが出来た。この例は、前に述べた宇宙人の訪問にもあてはまるであろう。原始 的な原住民にとって、ヨーロッパ人の最初の訪問は、あたかも空から宇宙人がやってきた場合と同じように受け取られていたからである。世代を経るにしたがっ て、事実はいろいろな空想によって多少とも粉飾されたが、しかし、根本的なものはそのまま残った。しかも本当の話に空想的なものを付け加えることは、民俗 学や言語学で知られている一定の法則にしたがって生ずるものだからなおさらである。
 こうした天から来た文化の祖は、日本にも伝えられている。記紀に登場する大国主命、素盞嗚命などは、文化の祖の面影を伝えてはいるが、特に空を飛ぶ具体的な乗り物、という形が伝えられていない。
 ところが、その飛行物体を鮮明に伝える物語が、この日本列島にある。それは今や北方に追いやられた日本原住民アイヌの伝える物語なのである。
■アイヌ文化の祖
言語学者金田一京助氏は、東京帝国大学の学生時代にアイヌ部落を訪れ、彼等が今に伝える伝承を取材した。伝承というものは、親から子へ、子から孫へと人から人へ伝えられてゆく。民族が絶滅しない限り、伝承は続くから、彼らの血液、遺伝子のようなものである。
 さて、我々は子供の頃に歌った小学校唱歌をよく覚えていると思う。たとえ歌詞の意味はわからなくても、だ。例えば「荒城の月」という歌がある。「はるこ うろうのはなのえん。めぐるさかずきかげさして」と我々は記憶しているが、歌っている当時はその意味がわからなかった。ところが大人になって、ふと歌詞を 思い出し、高殿で花をめでる宴会が開かれ、さぁさ一杯どうぞ、という具合に杯が人が人へ巡る、そこに月光が差す、ああ、この情景なのか、と気がつく。
 アイヌの伝承者は、親から聞いた言葉を正確に覚えて次に伝えた。たとえ意味がわからずとも、伝承者の家族は、囲炉裏のそばで、囲炉裏の縁をたたいて調子 をとりながら謡う親の言葉を何回も何回も聞いて覚えた。そのアイヌ語の伝承に出会った金田一京助氏は、伝承者から歌を聞き、それをローマ字で筆記し、「こ れで良いか」と伝承者に確認をとった。そうしたら伝承者はぶったまげた。我々の仲間でさえ、何回聞いても覚えないものを、この先生は一発で覚えた、凄い先 生だ、と。
 金田一氏のほうは、その構成が、あの世界的に有名なホメロスの叙事詩と同じであることに気付き、「アイヌとは、このような叙事詩を伝える優れた民族なのだ」と気がついた。
 しかし、金田一氏のやった仕事は、アイヌ語を正確に日本語にする翻訳であった。そこに何が物語られているか、その辺まで踏み込むことはなかっただろう。
 その翻訳された叙事詩を読んだ現代のUFО研究家が、「これは世界共通の宇宙人来訪の事実の反映ではないか」と解釈した、つまり何が物語られているのかを探り当てたのである。
■アイヌ伝承の中の空中機械
 ここで言うアイヌの伝承とは、「ユーカラ」或いは「カムイユーカラ」とは少し違う「オイナ」という人文神自身の語る物語である。
 つまり主語はアイヌ文化の祖といわれる「オキクルミ・カムイ」自身なのだ。東京帝国大学講師・文学士の肩書きで、金田一京助氏が大正12年(1923年)に出した『アイヌ聖典』「カムイ・オイナ」の冒頭にはこう記されている。
 「神の工(たくみ)の山城の 我を育てし山城の 東の軒 山城の西の軒
 日輪の象(かたち)をえがき、そのおもて 二重(ふたへ)の明光
 三重(みへ)の明光 差し延(は)へて 山城の際 照りわたり
 輝きわたる」
つまり、カムイの住む城には、今日で言えばネオンサインのような印が、同心円のように輝いていた、というのである。
 この「輝く同心円」というシンボルは、アイヌに限ったことではないらしい。というのは、九州の装飾古墳といわれる墳墓の内部には、この同心円を中心にした意味不明の彩色紋様が描かれているからである。
 そして、彼オキクルミ・カムイが敵地に赴くときに、使用したのが「シンタ」という乗り物である。 
 シンタとはアイヌ語で「揺り篭」のこと。赤ん坊を入れて天井から吊るす揺り篭のことだが、世界のどの民族でも、このように日常の道具や生き物の名前で、そうした神の乗り物を表現している。
 次の文句を見ていただきたい。
「アウンチセヘ わが家の
エンカシケ 真上に
オシンタアッテ  乗る所の神駕を 駐め」
※「シンタ」とは館の上空でホバーリングする能力を持つようだ。
「カニシンタ 金の神駕
オカヒケ 在りけるが
シンタウプソロ 神駕の内へ
アチェシタイキ われ飛び乗り
シンタヅカ 神駕の 柄を
アテクサイカレ われつかむ」
※「シンタ」とは、人間の身体を中に入れる大きさを持つもののようだ。
「カンナニシサム 天際に
チオリキンカ のぼりゆき
イマカケタ さて後に
ペケンレラネ 光風の如く
アツイソクルカ 海づらかけて
アマウノイェレ われ飜りゆく
ヅペシクシクネ 数々の波紋の如く
レペシクシクネ 数多の波紋の如く
ウラコチュプ 相もつれ
ウマウコノイェ 相もつれ」
・・・UFОを目撃した人なら、円形の物が、回転しつつ飛行する場合、「波紋の形がもつれながら」という表現に、「なるほどな」という思いを生じないだろうか。少なくとも私個人は、この個所を読んで、自分のUFО目撃を連想した。
 ちなみに「光風の如く」の解説を、金田一氏は「目にもとまらず、軽く疾く行く意」としている。
■アイヌラックルの装束
 「Aioina kamuiアイオイナカムイ」即ち「我々がいつまでも忘れずその人を云い継ぎ語り継ぐべき神」或いは「アイヌラックル」人間くさき神、 そして実名を「オキクルミカムイ」と言う、この存在は、いざ出陣というとき、何か鎧のような特殊な装束を身につけていたらしい。
 生身は危険なので、防御の衣服を身につける、というのなら、これはもう古代アイヌの人ではなく、どこからか来た文明人を思わせる。
「カニハヨクペ 金の鎧の
チキンネアラパ 両脚を蔽ひ
チクネアラパ 両腕を蔽ふ
カムイ ハヨクペ 神の鎧を
サナサンケ 取り出して
イコタララ 我に延ぶ。
ウプソロロケ そのふところへ
アオシキル 我入り」
ウオクカネクッ 金の合帯」
「トムサム カシ 胸のあたり の上
ミネ カネ さんらんと
イミカム カネ 著成し」
「オウフイアッヅシ 裾の焦げたる 厚司(と)
オウフイ カサ 兜(とを)
イコレ チキ 我に與へければ
裾の焦げたる 厚司を
我が着物の上へ打ち襲(かさ)ね」
※どうやら、オキクルミの衣装は、最初のつなぎ風の着衣(中に入るというから、着るというより、入るのであろう)の上に民族的衣装「厚司」を重ね着していたらしい。
 ここで「兜」という文字が出てくる。アイヌ語の「kasaカサ」は日常的な用語辞典にはないので、特殊なものらしい。
 ねま、ここで胸の部分について唄われるが、金田一氏の別著「アイヌの神典」によると、胸の板には唐草模様の刺繍があった、と伝えている。
 実は、この唐草模様を胸につけた縄文土偶が室蘭から発見されている。
 その土偶はあの眼鏡をかけたように見える遮光器土偶の系統に属するとそれていて、顔だけは素顔に見える。
 もし、この関連性が裏づけられるならば、アイヌの神話世界と考古学遺物とが、合流することになる。
 さて、オキクルミカムイの活動拠点は「HAIOPIRAハヨピラ」といって、沙流川の沿岸にあり、1962年から1970年にかけて、日本のUFО研究団体CBAが土地を買い取り、そこにオベリスクとピラミッドなどを建設した。私はその建設工事に参加した一人である。
 その後、人手不足で放置されたまま廃墟のように荒廃したが、近年になり、地元平取町に移管されて、町の手によって残骸が取り除かれ、生い茂っていた樹木も伐採されて整備されている。私の青春の思い出が、この北海道のアイヌ聖地にある。
 アイヌとはアイヌ語で「人間」の意味である。我々は人間らしく、生きるためにも、忘れ去られた古代日本の姿に、もう一度目を向けるべきと考える。



古谷 茂 の発言:

宇宙への扉を開く古代日本の真実-収穫期Harvest--81
■2008年9月14日奈良100年会館 言霊リレー講演会「楽観」 主催:マザーはるひ 
天宮アイヌと空飛ぶ円盤」1時間30分講演。スライドも使用。司会は書道家の加藤純子氏
中山康直「環境維新と人類即位」
荒田栄誠「神武天皇と天武天皇の謎-私の使命」
別府空由師「巨大前方後円墳上に於ける神秘感応」
アイヌと空飛ぶ円盤」の概要:北海道に住むアイヌ民族には文字がなかったが、沙流川沿岸に住む人々は口承によって代々神話を伝えて来た。「ユカラ」「オイナ」などという。「アイヌ聖典」には内地で見られる「光り物」をシンタといっている。しかも大和の饒速日のように、オキクルミという神が乗っていたと詠われる。
※写真は撮影担当の松村芳之氏(久保田八郎著『UFO・遭遇と真実』にUFO目撃体験が紹介されている)による全記録DVDからの画面接写より。

天宮

March 28, 2016

Slow Kevさんからの質問と私の回答を日本語で表示します。器械翻訳が不充分なため。
まずピラミッドとUFOの関係について--

天宮
エジプトのピラミッドとマヤ、メキシコのピラミッドは異なります。マヤ及びメキシコは、Šumeruシュメールのジッグラト Zigguratの建造目的に類似します。中国には「天壇Temple of Heaven」、アイヌ民族にはChashiが類似した意味を持っています。
それらの「目的」とは何か?
「skyを奉る」「神に捧げる」という意味は現代人にも理解できます。それらの高い建物はskyと神に向かって建造されました。
「sky」とは何か? 「sky」と「Sky-God」は何か?

質問 
ジョージ・ウィリアムズは、自動的ライティング、およびouijaボードでさえ使って「エイリアン」と通信した。Ufo現象REALエイリアンはであるか、または、「デーモン」はエイリアンであるふりをするか?

天宮
貴方は「真理」に近づいている。
もし「真実のUFO」が人類に幸福を与える存在であるならば、 "demons"は反対の位置にあるだろう。
"demons"の目的は人類を狂わせることにあるだろう。
"demons"は世界の中から選び出した人間とコンタクトする。"demons"は霊体である。従って人間の内部に入ることが出来る。
" demons"は選んだ人間に「超能力」を与える。その人間は「優越感」を得る。
そして「メッセージ」が彼らに与えられる。
それらの「メッセージ」によって人類の歴史に「混乱」が与えられる。

" demons"の目的は「混乱」である。
" demons"は言う。「私は金星から来た」「私は神である」

人間の世界が整った「UFO知識」によって進歩する展開は悪魔にとって不愉快である。
人間を悪魔の奴隷にしなければならない。
その為にはあらゆる「混乱」を作らなければならない。
「権力」や「権威」は悪魔にとって利用しやすい組織である。
彼らは利己的な動機によってのみ機能している。



古谷 茂 の発言:

2008年9月14日奈良百年会館演題「アイヌと空飛ぶ円盤」要旨   天宮清

■UFО問題のあれこれ
 UFО、未確認飛行物体は、昔「空飛ぶ円盤」と呼ばれた。それは文字通り、円盤の形をした謎の飛行物体が世界各地で目撃されたからである。それは、飛行 機では出来ない飛び方や、無音で音速を超えるなど、地球の物理法則さえ無視するものだから、「円盤型の飛行物体は地球外から来た宇宙船に違いない。我々の 知らない法則で飛んでいるようだ」という認識が広まったわけである。
 初期の頃、人間の肉眼が誤認を犯し易いということで、錯覚説が幅をきかせたこともあった。しかし今日、レーダー面上における記録や、カメラやビデオといった映像記録の発達によって、それら「未確認の飛行物体」の姿形は、多くの大衆の知るところとなっている。
 それでも「百聞は一見にしかず」と通り、人の話やテレビ番組に映るUFОを何度観賞しても、自分の眼でそれらしき不思議な物を目撃するのとは、受け止め方に大きな違いがある。
 自分の眼で見てしまった以上、それまで“他人事”だった話題が、突如として自分自身の問題となって、眼前に立ち現れたことになる。
 “UFОに関わるのは、誘拐されそうで怖い”という方がいるかも知れないが、それはテレビ番組の見過ぎかも知れない。本来、UFО問題とはすばらしい世 界なのだ。彼等空飛ぶ円盤の搭乗者が現実に、地球に来ているとなったら、どういうことが言えるのか、その辺をよく考えてみるべきである。
 行き詰まり文明、未来の描けない社会にとって、恐らくは恒久平和への道を発見し、文明と人生に余裕をもった宇宙社会が現実に存在し、この宇宙の辺境小さ な地球にまで、足をのばしているとしたら、それはまさしく「人類の希望の星」と言えるのではないか。そうした宇宙人に対し、すがりたい思いになるのは、日 本の政治家ばかりではないだろう。
 少なくとも「目に見えない神様」たちよりは、目で見えるUFОたちのほうが価値は高いとは言えないか?この主張が正しいとすると、UFОの存在は全宗教に対する宇宙からの挑戦になるかも知れない。
 従来からの電波望遠鏡によるET電波探索は、自分達の頭上に広がる空の世界を素通りして、遙か彼方の天体に思いを馳せている。
 UFО目撃者たちは、現実の空の中に、人智を超えた飛行物体を観察し、その知的コントロールの中に、我々のレベルを超えた知性的意思を読み取ろうとしている。
 「電波」と「目撃」、どちらが正常な宇宙知性への接近方法か。議論が分かれるところだが、電波探索は一種“競争世界”の観を呈していないか。「誰が一番 先に、ETとの交渉権を獲得するか」というレースのようにみえる。これでは動機が疑われる。つまり、地球外技術を、他国により先に入手した者が世界を制覇 できる、というヒトラーに続く者の理屈である。いつまでも支配妄想にとりつかれていては本当の進歩には縁がないであろう。
 いわゆる、「UFО研究」には、様々な道がある。もう60年以上の歴史あるUFOLOGYユーフォロジーである。その間、欧米諸国に多くのUFО学者が 名乗りをあげ、膨大な著作物を発表し、各国空軍や民間における目撃・遭遇情報を公開しつつ、その奥にあるテーマの数々を提示してきた。
■UFОの起源、或いはその歴史
 「空飛ぶ円盤は昔から来ていた!」・・・これは40数年前、私の先輩達が探索した分野であり、彼らはUFО現象の記録が、人類の歴史と共に古いことを確認した。
 日本の古い都であり、神社仏閣に居住する文人達が集まっていた京都・奈良には、豊富なUFО古記録がみられるのはよく知られている。
 昔の人の見た未知なる飛行物体は、日本書紀を始め、日記、夜話、何々草、拾遺記といった文集に記載されている。それらは、創作ではない。見聞録のようなものだろう。舞台の多くは神社仏閣、また信仰の山が多い。例えばこんな具合である。
 法成寺(京都)では「大きな星と小さな星がうごく」、西源院(京都)では「異類異形の物」、金戒寺(京都)では「たくさんの光り物」、南禅寺(京都)も 同様。法興寺(奈良)では「紫雲或いは花蓋形の五色変化」、大神神社(奈良)では「日輪の如き物の降下」、春日山(奈良)では「音を出す黒い物体の飛 行」、東大寺(奈良)では「月ほどの赤い光物の飛行」、阿弥陀寺(奈良)では「金色の龍の飛行」、多武士峰(奈良)では「蓋の形の雲」、葛城嶺(奈良)で は「空中を行く龍に乗る人」、胆駒山(奈良)でも同様。
 似たような記述は、日本ばかりではなく、中世のヨーロッパにもあるし、中国大陸では『天文志』という特別な空の記録文書に集中的に記載されている。
 そして、更に歴史を遡ると、「空から来て、人々を教えた英雄」の物語にたどりつく。その時代では、もはや不明の飛行物というより、神々の乗り物とか、英雄が乗る空中船といった具合に認識されており、それらを含む壮大な物語を、我々は「神話・伝説」として扱っている。
 そうした太古の物語とは、古代人のたくましい想像力が生み出したものなのか、何らかの歴史的事実を反映したものなのか、ここでも解釈が分かれるところである。
 学者の中には、これら天と地の接触物語は、宇宙から来た文明人による原始人類の教育とする説もある。英国のUFО研究学者トレンチ伯爵は、天から来て、未開の人類を導いた文化英雄を「Sky People 天空人」と名づけた。
■「天上の人々」
 1960年代に旧ソ連電波天文学者でソ連版“オズマ計画”を推進させたイ・エス・シクロフスキーShklovskii著『宇宙人! 応答せよ』には、1959年のM.M(マテスト).アグレストの言葉として、こう紹介されている。
  「他の惑星人がかつて地球を訪問し、地球人と出会っていたならば、このような大事件は伝説や神話に必ず反映されている筈である。当時、地球に住んでい た原始的な人間にとって、これらの宇宙人は超自然力をもった神のような存在に見えたにちがいない。これらの不思議な生物は、おそらくは再び《天》にもどっ ていったであろう。そして、神話のなかでは、この《天》が特別な意味を与えられたに違いない。また、これらの《天上の人々》が地球人に手先の仕事や、とき には科学の基礎知識を教えたということも考えられる。これもおそらくは伝説や神話のなかに反映されているにちがいない。」
 アグレストの問題提供自体は、まったく合理的なものであり、綿密な分析に値すると思われる。周知のとおり、まだ文字を知らなかった諸民族のあいだで生ま れた神話や伝説は、大きな歴史的な価値をもっている。たとえば植民地以前の黒いアフリカの、文字を持たなかった諸民族の歴史は、伝説や神話を主体とする口 碑文学から大部分現在復元されつつある。
 1786年、有名なフランスの航海家ラ・ペルーズ(1741~88)は、北西アメリカのインディオを訪問した。100年後、この訪問を伝えた伝説や神話 を分析した結果、ラ・ペルーズの乗っていた軍艦の外見さえも正確に復元することが出来た。この例は、前に述べた宇宙人の訪問にもあてはまるであろう。原始 的な原住民にとって、ヨーロッパ人の最初の訪問は、あたかも空から宇宙人がやってきた場合と同じように受け取られていたからである。世代を経るにしたがっ て、事実はいろいろな空想によって多少とも粉飾されたが、しかし、根本的なものはそのまま残った。しかも本当の話に空想的なものを付け加えることは、民俗 学や言語学で知られている一定の法則にしたがって生ずるものだからなおさらである。
 こうした天から来た文化の祖は、日本にも伝えられている。記紀に登場する大国主命、素盞嗚命などは、文化の祖の面影を伝えてはいるが、特に空を飛ぶ具体的な乗り物、という形が伝えられていない。
 ところが、その飛行物体を鮮明に伝える物語が、この日本列島にある。それは今や北方に追いやられた日本原住民アイヌの伝える物語なのである。
■アイヌ文化の祖
言語学者金田一京助氏は、東京帝国大学の学生時代にアイヌ部落を訪れ、彼等が今に伝える伝承を取材した。伝承というものは、親から子へ、子から孫へと人から人へ伝えられてゆく。民族が絶滅しない限り、伝承は続くから、彼らの血液、遺伝子のようなものである。
 さて、我々は子供の頃に歌った小学校唱歌をよく覚えていると思う。たとえ歌詞の意味はわからなくても、だ。例えば「荒城の月」という歌がある。「はるこ うろうのはなのえん。めぐるさかずきかげさして」と我々は記憶しているが、歌っている当時はその意味がわからなかった。ところが大人になって、ふと歌詞を 思い出し、高殿で花をめでる宴会が開かれ、さぁさ一杯どうぞ、という具合に杯が人が人へ巡る、そこに月光が差す、ああ、この情景なのか、と気がつく。
 アイヌの伝承者は、親から聞いた言葉を正確に覚えて次に伝えた。たとえ意味がわからずとも、伝承者の家族は、囲炉裏のそばで、囲炉裏の縁をたたいて調子 をとりながら謡う親の言葉を何回も何回も聞いて覚えた。そのアイヌ語の伝承に出会った金田一京助氏は、伝承者から歌を聞き、それをローマ字で筆記し、「こ れで良いか」と伝承者に確認をとった。そうしたら伝承者はぶったまげた。我々の仲間でさえ、何回聞いても覚えないものを、この先生は一発で覚えた、凄い先 生だ、と。
 金田一氏のほうは、その構成が、あの世界的に有名なホメロスの叙事詩と同じであることに気付き、「アイヌとは、このような叙事詩を伝える優れた民族なのだ」と気がついた。
 しかし、金田一氏のやった仕事は、アイヌ語を正確に日本語にする翻訳であった。そこに何が物語られているか、その辺まで踏み込むことはなかっただろう。
 その翻訳された叙事詩を読んだ現代のUFО研究家が、「これは世界共通の宇宙人来訪の事実の反映ではないか」と解釈した、つまり何が物語られているのかを探り当てたのである。
■アイヌ伝承の中の空中機械
 ここで言うアイヌの伝承とは、「ユーカラ」或いは「カムイユーカラ」とは少し違う「オイナ」という人文神自身の語る物語である。
 つまり主語はアイヌ文化の祖といわれる「オキクルミ・カムイ」自身なのだ。東京帝国大学講師・文学士の肩書きで、金田一京助氏が大正12年(1923年)に出した『アイヌ聖典』「カムイ・オイナ」の冒頭にはこう記されている。
 「神の工(たくみ)の山城の 我を育てし山城の 東の軒 山城の西の軒
 日輪の象(かたち)をえがき、そのおもて 二重(ふたへ)の明光
 三重(みへ)の明光 差し延(は)へて 山城の際 照りわたり
 輝きわたる」
つまり、カムイの住む城には、今日で言えばネオンサインのような印が、同心円のように輝いていた、というのである。
 この「輝く同心円」というシンボルは、アイヌに限ったことではないらしい。というのは、九州の装飾古墳といわれる墳墓の内部には、この同心円を中心にした意味不明の彩色紋様が描かれているからである。
 そして、彼オキクルミ・カムイが敵地に赴くときに、使用したのが「シンタ」という乗り物である。 
 シンタとはアイヌ語で「揺り篭」のこと。赤ん坊を入れて天井から吊るす揺り篭のことだが、世界のどの民族でも、このように日常の道具や生き物の名前で、そうした神の乗り物を表現している。
 次の文句を見ていただきたい。
「アウンチセヘ わが家の
エンカシケ 真上に
オシンタアッテ  乗る所の神駕を 駐め」
※「シンタ」とは館の上空でホバーリングする能力を持つようだ。
「カニシンタ 金の神駕
オカヒケ 在りけるが
シンタウプソロ 神駕の内へ
アチェシタイキ われ飛び乗り
シンタヅカ 神駕の 柄を
アテクサイカレ われつかむ」
※「シンタ」とは、人間の身体を中に入れる大きさを持つもののようだ。
「カンナニシサム 天際に
チオリキンカ のぼりゆき
イマカケタ さて後に
ペケンレラネ 光風の如く
アツイソクルカ 海づらかけて
アマウノイェレ われ飜りゆく
ヅペシクシクネ 数々の波紋の如く
レペシクシクネ 数多の波紋の如く
ウラコチュプ 相もつれ
ウマウコノイェ 相もつれ」
・・・UFОを目撃した人なら、円形の物が、回転しつつ飛行する場合、「波紋の形がもつれながら」という表現に、「なるほどな」という思いを生じないだろうか。少なくとも私個人は、この個所を読んで、自分のUFО目撃を連想した。
 ちなみに「光風の如く」の解説を、金田一氏は「目にもとまらず、軽く疾く行く意」としている。
■アイヌラックルの装束
 「Aioina kamuiアイオイナカムイ」即ち「我々がいつまでも忘れずその人を云い継ぎ語り継ぐべき神」或いは「アイヌラックル」人間くさき神、 そして実名を「オキクルミカムイ」と言う、この存在は、いざ出陣というとき、何か鎧のような特殊な装束を身につけていたらしい。
 生身は危険なので、防御の衣服を身につける、というのなら、これはもう古代アイヌの人ではなく、どこからか来た文明人を思わせる。
「カニハヨクペ 金の鎧の
チキンネアラパ 両脚を蔽ひ
チクネアラパ 両腕を蔽ふ
カムイ ハヨクペ 神の鎧を
サナサンケ 取り出して
イコタララ 我に延ぶ。
ウプソロロケ そのふところへ
アオシキル 我入り」
ウオクカネクッ 金の合帯」
「トムサム カシ 胸のあたり の上
ミネ カネ さんらんと
イミカム カネ 著成し」
「オウフイアッヅシ 裾の焦げたる 厚司(と)
オウフイ カサ 兜(とを)
イコレ チキ 我に與へければ
裾の焦げたる 厚司を
我が着物の上へ打ち襲(かさ)ね」
※どうやら、オキクルミの衣装は、最初のつなぎ風の着衣(中に入るというから、着るというより、入るのであろう)の上に民族的衣装「厚司」を重ね着していたらしい。
 ここで「兜」という文字が出てくる。アイヌ語の「kasaカサ」は日常的な用語辞典にはないので、特殊なものらしい。
 ねま、ここで胸の部分について唄われるが、金田一氏の別著「アイヌの神典」によると、胸の板には唐草模様の刺繍があった、と伝えている。
 実は、この唐草模様を胸につけた縄文土偶が室蘭から発見されている。
 その土偶はあの眼鏡をかけたように見える遮光器土偶の系統に属するとそれていて、顔だけは素顔に見える。
 もし、この関連性が裏づけられるならば、アイヌの神話世界と考古学遺物とが、合流することになる。
 さて、オキクルミカムイの活動拠点は「HAIOPIRAハヨピラ」といって、沙流川の沿岸にあり、1962年から1970年にかけて、日本のUFО研究団体CBAが土地を買い取り、そこにオベリスクとピラミッドなどを建設した。私はその建設工事に参加した一人である。
 その後、人手不足で放置されたまま廃墟のように荒廃したが、近年になり、地元平取町に移管されて、町の手によって残骸が取り除かれ、生い茂っていた樹木も伐採されて整備されている。私の青春の思い出が、この北海道のアイヌ聖地にある。
 アイヌとはアイヌ語で「人間」の意味である。我々は人間らしく、生きるためにも、忘れ去られた古代日本の姿に、もう一度目を向けるべきと考える。

天宮

March 28, 2016

Slow Kevさんからの質問と私の回答を日本語で表示します。器械翻訳が不充分なため。
まずピラミッドとUFOの関係について--

天宮
エジプトのピラミッドとマヤ、メキシコのピラミッドは異なります。マヤ及びメキシコは、Šumeruシュメールのジッグラト Zigguratの建造目的に類似します。中国には「天壇Temple of Heaven」、アイヌ民族にはChashiが類似した意味を持っています。
それらの「目的」とは何か?
「skyを奉る」「神に捧げる」という意味は現代人にも理解できます。それらの高い建物はskyと神に向かって建造されました。
「sky」とは何か? 「sky」と「Sky-God」は何か?

質問 
ジョージ・ウィリアムズは、自動的ライティング、およびouijaボードでさえ使って「エイリアン」と通信した。Ufo現象REALエイリアンはであるか、または、「デーモン」はエイリアンであるふりをするか?

天宮
貴方は「真理」に近づいている。
もし「真実のUFO」が人類に幸福を与える存在であるならば、 "demons"は反対の位置にあるだろう。
"demons"の目的は人類を狂わせることにあるだろう。
"demons"は世界の中から選び出した人間とコンタクトする。"demons"は霊体である。従って人間の内部に入ることが出来る。
" demons"は選んだ人間に「超能力」を与える。その人間は「優越感」を得る。
そして「メッセージ」が彼らに与えられる。
それらの「メッセージ」によって人類の歴史に「混乱」が与えられる。

" demons"の目的は「混乱」である。
" demons"は言う。「私は金星から来た」「私は神である」

人間の世界が整った「UFO知識」によって進歩する展開は悪魔にとって不愉快である。
人間を悪魔の奴隷にしなければならない。
その為にはあらゆる「混乱」を作らなければならない。
「権力」や「権威」は悪魔にとって利用しやすい組織である。
彼らは利己的な動機によってのみ機能している。

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