日本超古代文明のすべて

かつて、アメリカ・インディアンの精神的指導者であったクロード・クワニフマ(ホピ族)は言った。

「人間だけが記憶をもっているわけではない。地球は記憶する。石が記憶する。聞き方さえわかれば、彼らは多くのことをあなたに話しかけてくれるだろう。」

 

だが、それを知っていたのはインディアンだけではなかった。太古日本の縄文人もまた同じような知識を持ち、同じ経験をしていたのである。

縄文日本を象徴する巨石文明の謎に迫る・・・・・

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(PP23-24)

ピラミッドといえば、何百万個もの石材を積み重ねて造られたエジプトの人工の山を指すものと理解されているが、そうではない。自然の山を利用して造られたピラミッドもある。山の形を階段状に整形し、表面を葺き石で固めたピラミッドである。

「そんなピラミッドは見たことがない」そういわれるかもしれないが、すでに黒又山ピラミッド(秋田県)の場合、足かけ4年にわたる黒又山総合調査団(加藤孝団長=元東北学院大学教授)の調査によって判明している。葺き石で表面を装飾された階段状ピラミッドが姿を現したとき、黒又山は「古墳ではないのか」と間違えられたほどであった。

しかし、一緒に出土した土器の判定によって縄文後期ないしは続縄文期に造られた山である、と判断されたのである。だからといってほかに敷衍して断言することもできないが、その他の山(ピラミッド)もまた、いまは表土の下に隠れていても、いつの日か、必ず姿を現すときがくるであろう。

ところで、日本列島は世界に冠たる火山列島である。この火山と密接に結びついているのが、日本のピラミッドなのである。爆発すれば恐ろしい被害をもたらすが、反面、雨や水をもたらし、あらゆる生命を育む培養器となる・・・こうした火山を恐れ、敬う心がピラミッドを生み出したといわれている。

その数は日本列島の北から南に至るまで「三千以上はある」とする人がいるくらい、どこにでもある。それほどでもなくても「神奈備(かんなび)山」「御神体山」と呼ばれ、禁足地とされてきた神聖なる山は数多くあり、よく知られている山だけでも数十例はある。

そのなかから、本書の「第三章」において取り上げたピラミッドは、厳選して十例ほどである。

 

次のとおりである。

1 モヤ山(青森県)

2 大石神(青森県)

3 黒又山(秋田県)

4 五葉山(岩手県)

5 千貫森(福島県)

6 尖山(富山県)

7 皆神山(長野県)

8 東谷山(愛知県)

9 三輪山(奈良県)

10 葦嶽山(広島県)

近江磐座研究会(いわくらけんきゅうかい)

入内の石神さま

日本のパワースポット案内巨石巡礼50 - 18 ページ

巨石巡礼

P245

石神様(青森県青森市)

青森市、荒川、駒田山の石神神社には、不思議な奇跡をもたらすとして昔から信仰されている御神体の巨大な岩石「石神さま」がある。まるでエイリアンそっくりな巨岩の目玉の部分は異様に大きくて固く、強力な磁力を発している。縄文時代まで遡る古代の磐境(いわさか)だった形跡があることから、東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)に記された古代津軽地方の最高神「イシカカムイ」とも考えられる。

 

 

今日は不思議なチカラが働いているようで、このことを投稿しようか迷っていましたが、ちょっと気になりましたので。。。

青森県青森市の遺跡のお話が出てきましたが、全く関連はないかもしれませんが、青森市というのは以前、「うとう村」だったのです。

善知鳥と書きまして「うとう」という鳥がこの地域には生息していたそうです。この善知鳥が宇藤になったという説もあるようです。

昨年夏に青森に行きまして、港に「うとう丸」という船が停泊していたり、キリストの墓かもしれないとされる戸来の近くにも「宇藤坂下」という地名がありました。長野にも「善知鳥峠」というのがあるようです。

マルセル・オメ教授が発見したペドラ・ピンタダ巨石の碑文 (ブラジル・ロライマ州ボナビスタ)

オメ教授によると太古において空を飛ぶ機械を用いていた偉大な文明がこの地球上に存在したという。ジャイアント・バード(巨大な鳥)を持つ人々がこの地上に存在した時代があった。その巨大なシンボルは今なおペルーやアンデスの高地に刻まれていて、翼の両端間の距離が150メートルに達するのがある。これは非常な高空からでないと見られない。平たい地面または岩に刻まれたこのシンボル類は、宇宙旅行や空中戦をやった人々のシンボルとみなしてよいだろう。

「私は大西洋沿岸の国々の口碑伝説や伝承詩などを研究したが、すべて巨鳥の伝説が確実に残っていて、それらは空中で火を噴いて大地を破壊しながら絶滅してしまった」と教授は述べている。

オメ教授が発見した金星文字!?

アダムスキーに残された金星文字

1952年12月13日、パロマー山のアダムスキーの住宅上空へ超低空で飛来した金星の円盤が投下したネガフィルムに写し込まれていた不思議な文学と図形。このネガは同年11月20日、カリフォルニア州南部のデザートセンター砂漠地帯に着陸した円盤から出てきた金星人が、アダムスキーが持っていた撮影済みネガをホルダーごと借り受けて行ったもの。この写真はむかしアダムスキーから筆者に贈られた。

重大極まりないUFO問題 第1話

マルセル・オメ教授のこの探検行における最重要な発見物はこのペドラ・ピンターダそのものではなく、ペドラのすぐ隣りにあった小さな奇妙な図形である。これはある石器に刻まれていたもので、多年風雨にさらされてかなり磨滅していたために教授はさほど気にとめなかったが、一応参考資料として写し取ったのである。

しかし後になってオメ教授みずからアダムスキーの最初の著書『空飛ぶ円盤は着陸した』を読んだとき、飛び上がらんばかりに驚いた。なんとそこには教授が持ち帰った紋様とほとんど同じ種類の紋様と図形が金星人から与えられたものとして掲げられていたからである。

この点については教授は「私はアダムスキーの書物を読むまでは、あの紋様についてほとんど関心はなかった」と述懐している。アダムスキーが『空飛ぶ円盤は着陸した』を出したのはオメ教授が著書『太陽の子ら』を出す前であったから、アダムスキーがオメ教授の発見を知っていたわけはない。

オメ教授が発見した金星文字!?

デイビッド・アイクによる2つのシンボルの比較

ペドラ・ピンタダ巨石の碑文は、日本の古代文字、アヒルクサ文字で解読できるという。 「イサクとヨセフに船を降ろせる神を見よ。イサク、ヨセフとともにこれを手厚く守れ」の意味を表す。

世界各地で見られる日本の神代文字?!

ロスチャイルドが異常に関心を寄せたアヒルクサ文字のソフトを全部欧米の研究者がねこそぎ買った

【縄文宇宙文明の謎】

<契約の箱をめぐって争った姉弟ファラオ>

先にも述べたとおり、紀元前11世紀から前9世紀まで続いたエジプトのテーゼ王朝は、天常立(アメノトコタチ)=アメンホップ1世に始まり、高皇産霊(タカミムスヒ)=「摂政=高霊量産」のギリシア名を持つ最後のファラオ・アイ)に終わった太古日本の世界王朝だった。

この高皇産霊(タカミムスヒ)は日本の「古事記」の冒頭に天御中主(アマノミナカヌシ)=ウトナビシュティムに続いて登場する神であるが、その高皇産霊という人物は、じつは2人いたのだ。

1人は天御中主の息子のギルガメシュであり、もう1人がエジプトのファラオ・アイである。高木(タカギ)=高来ー高麗の神という別名を持つアイは、紀元前9世紀末の戦争でテーベが崩壊したあと、息子の国常立(クニトコタチ)、国狭槌(クニサヅチ)が待つインダス文明の都へと向かったのである。

インドに移った後のテーベ王朝は、どのような運命をたどったのだろうか。その前に、この王朝にはどうしても触れておかなければならない人物がいる。それは第3代のハトシェプスト女王と第4代のトトメス3世である。

この2人のファラオは、『竹内文書』にそれぞれ天乃木合比女、天乃草奈男の名で記された日本の天皇だ。彼らは実の姉弟でありながら、天常立と天乃御柱立(トトメス1世)の時代に、ダビデとソロモンがイスラエルに保管していた”契約の箱”(アーク)の入手をめぐって争ったと見られるからである。

ハトシェプスト女王(=天乃木合比女)は、その当時「上エジプト」と呼ばれたクシュ(エチオピア)の地から「下エジプト」を除く全アフリカとアラビア、アメリカなどを治めたファラオだった。

エチオピアの叙事詩『ケブラナーゲスト』やアラビアの伝説集『すてきな真珠の首飾りの書』などが伝えるところによれば、ハトシェプスト女王は、”サブハ”と呼ばれる巨大な空挺に乗って世界を治め、緑のサハラを4千キロメートルにわたって横切る大運河を造ったという。

彼女はのちにアラビアで、”魔女ビルキス”として畏れられ、イスラエルでは彼女の所有するサブハにちなんで、”シバの女王”と呼ばれた。

ハトシェプスト女王によって造られた大運河について、中国に伝わる『山海経』(せんがいきょう)は、「翼が1つしかない鳥(比翼鳥)の雌雄が、アフリカの大地につらなっている」という表現で紹介している。このサハラ大運河も、前8世紀の相次ぐ異変によって、いまでは厚い砂の下に埋もれてしまっている。

【宇宙考古学者のデニケンが注目した土偶】

エーリッヒ・フォン・デニケン・・・あまり親しみのない名前であるが、「宇宙考古学のデニケン」というと、たいていの人は膝を叩く。

昭和50年(1975)に来日した際、デニケンは集まった取材記者に向かってとんでもない話をして話題になった・・・太古の昔、少なくても1万年前、宇宙人が光速なみの高速宇宙船に乗って地球を訪れ、地球の原住民を遺伝子操作などによって人種改良し、文明の発展に取り組ませた、と主張したのである。

デニケンは「ソ連の作家アレキサンドル・カザンチェクの自宅で見せられた3体の日本古代人形も宇宙飛行士のいでたちをしていた」と語っている。

それに魅せられて来日したのかどうか、それはわからないが、いずれにしろ、カザンチェフは、その際、「秋田県の床舞で出土したもので、紀元前の作品だ」と説明したというのである。

高さ60センチ。両肩から出て体にぴったりくっついたベルトが膝の上で交差し、さらに尻に近い大腿部で再び交差していた。また、鋲(びょう)のついた幅広のベルトが別に腰を閉めている。身に着けている衣服はふくらみがある。頭に乗せたヘルメットもリボン状のもので胴体にぴたりと結合されていた。それに、斜めにレンズをつけた大きなメガネをしていた。

誰が見ても、それは遮光器土偶だったとわかる。しかし、それが「宇宙飛行士だった」などと指摘したのはNASA(アメリカ航空宇宙局)の研究者とデニケン以外にはいない。

アレクサンドル・ペトロビッチ・カザンツェフ(1906~2002)

1908年6月のツングース(シベリア)大爆発は、「宇宙から来た原子力宇宙船がタイガ上空で爆発した結果(核爆発が原因)」だという仮説を1946年に空想科学小説として発表したことで有名。
シベリアのアクモリンスクに生まれ、トムスク工科大学を卒業し、科学研究所などに勤務した。1936年に空想科学映画のシナリオ・コンテストに入賞し、戦後プロの作家に転向した。

【参考文献】
『謎のツングース隕石はブラックホールかUFOか』


 ⇒・Wikipedia(英語版)

 

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